僕はウェイトレス？■学園編■

バレンタインまで後５日を切ったある日の夜。私はようやく購入した『手作りチョコの作り方』なる本を読んでいた。
こう言ったらなんだけど、私は料理は結構得意な方だ。といってもお菓子の類を作るのは初めてだったけど。
最初のチョコを手作りとは少々無謀だとは思ったが、自分の思いを確かめる為にも、私は挑戦する事にしたのだ。
「･･･取りあえず明日材料を買いに行っておかないと。」
一応練習用の材料も必要だろう、資金は正月に貰ったお年玉を当てるつもりだった。そう決めると私は本を閉じ、ベッドに潜り込む。

翌日、授業と部活を終えた私は駅前のデバートに向かった。この時期、売り場の一角にバレンタイン特設コーナーが設けられているということを友人から聞いたからだ。
「ふ〜ん、あんたがね･･･まあ誰にあげるかは聞かないでおくわね。」
私の話を聞いた友人はそう言って意味深に笑っていた。まあそうは言っていても後できっちり追求するつもりなのだろうけど。
予想どおりそこも女性たちで一杯だった。それも女子高生からＯＬまでと多彩な状況だ。
「･･･････」
分かっているのだがやはり躊躇してしまう。とはいえ此処まで来て引き下がる訳にもいかない、女の意地がかかっているのだから・・・いやそれは少々オーバーかな。
兎に角、私も女性達の中に割り込み、材料を物色し始める。･･･どうでも良いけど、まるでバーゲン会場みたいに押し合いへし合いなのは閉口した。
それでも何とか材料を買い込み、近くの椅子に座って一息つく。相変わらず目の前では激しい攻防戦（？）が続いている。
しかし、しょっちゅう愛を囁きあっている子達が今更バレンタインも無いとは思うのだけど、やはり外せないものなんだろうか？
私は立ち上がると、買った材料の入った紙袋を持ち自宅へと向かう。帰ったらさっそく台所の使用許可を母親に取らなければならない。
突然こんな事を始めた私を見て母親は驚くだろうか？･･･いや絶対面白がって、根掘り葉掘り聞いてくるんだろうな。私はちょっと憂鬱になる。
だが私はこの後もっと憂鬱な目に遭う事になる。

デパートを出て歩き始めた私は、当然呼び止められてしまう。それも思いっきり悪意のある声で。
「あら、誰かと思えば･･･水泳部のホープさんじゃないですか。」
何となく聞き覚えの有る･･出来ればあまり関わりになりたくないその声に、私は深いため息をつく。このまま無視して行こうかと思ったが、そうもいかないようだ。何しろ目の前に立って私を睨みつけているのだから。
その声の主は夏樹君の同僚ウェイトレスであり、この街の名家のお嬢様。そして夏樹君を囲む女の子達の中心、牧瀬恵理香さんだった。その彼女が腰に手を当て私の目の前に立っている。
正直いって私は彼女が苦手だった。何と言うかいつも敵意むきだしなのだ。どうも体育祭以来風当たりが特に強まったのだが、原因は何となく分かる。
女子の騎馬戦（うちの学校にはそんな種目があるのだ）に参加した夏樹君が”馬”から落ちた時、私は思わず彼の元に走り保健室へ連れて行ったのだけど。
その時私は夏樹君を、俗に言う”お姫様抱っこ”したのだ。今考えれば恥ずかしい話だが、心配のあまり動転していて自分でも気づかなかった。
今思えば、あれが私と夏樹君の”百合疑惑”の始まりだったのだ。しかし女の腕で”お姫様抱っこ”できる男の子って･･･ある意味複雑な気持ちになったものだ。
牧瀬さんはその後保健室にやってきて、私の事を夏樹君に付く”悪い虫”呼ばわりした挙句、「離れてください。｣と一方的に言って私を追い出したのだ。（その後、他の娘達と一悶着起こしていたようだけど）
それ以来だ、私がたまにブルーウィンドに行くと、まるで親の仇のような目で見られる。しかも彼女以外のウェイトレス達からもだ。
だからといって対応が悪いわけではない。その辺は流石に彼女達もわきまえているようで、自分の心情と仕事はきちんと区別している。
といってもにこやかな顔をしていながら目が笑っていなかったり、丁寧な言葉なのにちっともそう取れなかったりして、私としては居心地が悪くてしかたない。
問題ないのは夏樹君と外人のウェイトレスさん（クリスさんといったかな）だけだ。もっともその外人さん、私の事を興味深げに観察しているような気がして、別の意味で居心地が悪いのだが。
お陰でブルーウィンドに行っても落ち着けない。それでも私が行くのは････
「･･･聞こえないのですか？宮島美沙さん。」
私が考え込んでいると牧瀬さんがイライラした声で訊いてくる。どうも私に無視されたと思ったらしい。
「失礼しました。それで何かご用ですか？」
どうせろくでもない話だと思ったが、それでなくても道の真ん中で対峙している私達は目立ってしょうがないのだ。話が有るなら早めにしてもらおう。
「ええ、貴方と色々とお話をしたいと思いまして。少々お時間を割いて頂けませんでしょうか？」
私なんかとは比べられないほど絹のような黒髪を右手でさらっと後ろに流し優雅に答えるお嬢様。同じ女性として何でこんなに差があるかと言いたくなる。
いや髪だけでなく、スタイルだって私より女らしい。服装だってかなりの高級ブランド品をさりげなく着こなしている。流石はお嬢様といったところだろうか。
それに全身から発しているオーラ。私に予定を訊くようにみえて実際は、「断りませんよね？」とプレッシャーを掛けてきている。
ハッキリ言って彼女に付き合う義理など私には無い。彼女からのプレッシャーだって、競技大会前のものに比べれば大した事ない。だけど･･･
「分かりました･･･」
私は彼女に付き合う事にした。このお嬢様が何を言いたいのか興味があるし、夏樹君に何故あれ程の執着を持つのか知りたかったからだ。
「感謝いたしますわ。」
お嬢様は優雅に微笑むと私を歩道脇に止めた車、それも見た事の無いような高級車に導く。近づくと運転手（！？）が降りてきて、ドアを開けてくれる。
まるでドラマかマンガのようで、流石にこれには私も気圧されたが、ここで引いたら彼女に主導権を握られてしまうと思い、何でもないような顔で乗り込む。
そして先に乗っていたお嬢様の隣に座る。車の中は広々としていて、たった二人ではもったいない感じがする。
「宮島さんのお家はどちらになりますか？」
私が座った事を確認し運転手さんがドアを閉めると、牧瀬さんがそう訊いてくる。
「え？坂下町ですけど。」
何でそんな事訊いてくるのか不思議だったが、牧瀬さんは更に詳しい番地を私から訊くと、運転手さんにそちらへ向かうよう指示を出す。
「いやそんな事してもらわなくても･･･」
「気になさらなくてよろしいですわ。それにゆっくり話せますし。」
恐縮する私に優雅な笑みを見せ牧瀬さんは言う。まあ送ってくれるというのは構わないけど、次の言葉の部分にちょっと怖さを覚えた。
「別に取って喰おうと言う訳ではありませんわ、ナツキちゃんの学校の先輩ですから。」
何となく”先輩”のところを強調された気がする。”あなたはただの先輩ですからね”・・・そう言われた気がして私はむっとする。
「ええ、夏樹君の先輩として同じ学び舎に通わせてもらってます。」
私は”先輩として何時も一緒に居ます”と反撃する。･･･さてどう返してくるのか？緊張して次のセリフを待ったのだけど････
「･･･････」
返ってきたのは沈黙だった。私はそっと牧瀬さんの顔を覗き見て、動揺させられてしまった。何しろ彼女の顔は深い悲しみに満ちていたからだ。
「そう･･･ですね･･･宮島さんは何時もナツキちゃんの傍にいられる。そして彼女の心の中を常に占めているのは貴方です･･･」
先程までの高貴なお嬢様の雰囲気は片鱗も残っておらず、そこには私と大して年の違わない少女の姿があった。
「牧瀬さん･･･貴方･･･？」
最初に会った時から抱いていた”鼻持ちならないお嬢様”という彼女への認識が崩れてゆく。
「どうしてです？･･･ナツキちゃんへの気持ちなら宮島さんに負けないつもりです。なのに何時も貴方が奪っていってしまう･･･」
「奪うってそんな物みたいに･･･貴方は夏樹君をそんな風に見ているの？」
牧瀬さんの言い方がいかにも”金持ち”と思えて私は思わずそう言ってしまう。彼女はびくっとして顔を上げる。
「違います･･･そんなつもりで言ったのではありませんわ。私は･･･」
「ねえ牧瀬さん、貴方にとって夏樹君の存在って何なの？」
前から感じていた疑問、夏樹君を囲む女の子の中でも特に目立つ彼女の執着心。それが何処から来るものなのか、私はずっと不思議だった。
「･･･宮島さんにはお分かりにならないでしょうね、私には本当の意味での友人など出来なかったことなど･･･」
牧瀬さんは俯いたままそう答える。でもそれが一体何故、夏樹君とどう結びつくのだろう？私は何も言わず彼女の言葉を待つ。
「幼い頃からそうでしたわ･･･周りの方達は”牧瀬のお嬢様”としてしか私の事を見ません。”恵理香”として見てくれる人など皆無でしたわ。」
なまじ由緒ある家柄に生まれたせいか、ちやほやする人は居ても、親しい間柄になってくれる人は居ませんでした・・・と、牧瀬さんは自嘲気味に話す。
「････････」
返す言葉を私は持たなかった。そんな立場に居ない者に、軽々しく何か言えるものでは無い事は嫌でも分かる。
「それでも諦め切れず･･･ブルーウィンドで働く事にしました。少しでも私を知らない人達と出会える、と思ってですわ。」
なるほど･･･夏樹君から彼女がブルーウィンドオーナーの孫娘だと聞いた時、なんでそんな人がそこでバイトなどしているのか不思議に思ったのだけど。彼女なりに考えての事だったらしい。
身分を隠し、少しでも親しい人間を作りたかった為の苦肉の策なのだ。他愛も無いといえばそうだけど･･･
決して笑う気にはなれない。多分お嬢様の精一杯の行動だったのだろうから。もっとも彼女は最初は”牧瀬”とは関係の無い別の所を望んでいたらしい。
「祖父は賛成してくれましたけど、両親が目の届く場所では無いと許可を出さなかったので･･･結局私は”牧瀬”の名から離れられないと思い知らされましたわ。」
彼女なりの精一杯の行動は残念ながら実を結んだとはいえなかったようだ。皆それとなく事情を察し、一定の距離を持った態度だったらしいから。
「そんな時ですわ、ナツキちゃんがブルーウィンドに来られたのは･･･」
最初は夏樹君も自分の家の事を知れば態度を変えてしまうと牧瀬さんは思ったらしい。だから最初は出来るだけ気づかれないように接する事にしたのだという。
でもある日、夏樹君がプールで幼い子供を助けた事で話題になり、彼女の祖父である牧瀬家総帥の人が是非会いたいと言い出したらしい。

ちなみにこのプールに私も実は居たのだ。子供が溺れたのにも気づき私も助けようとしたのだが、それより早く助けに行ったのが夏樹君だった。
その時の光景は今でも鮮明に記憶している。蒼い水着に身を包み、力強い泳ぎを見せたその姿に私は暫し呆然としたものだ。
今まで多くの人の泳ぐ姿を見て来たけど、この時ほどの美しい泳ぎは後にも先にも見られないとさえ思い、深い嫉妬心を抱いたくらいだ。
この時はまだ夏樹君が男の子だったとは気付いていなかった（それほど女性用水着が似合っていたのだ）ので、新たなライバル出現と警戒した。
もっともその後、夏樹君を見ているうちに強い違和感を覚えるようになり、2学期当日に水泳部まで呼び出し確かめたのだ。

『どうして貴方…”男の子”なのに”女の子”の格好しているの？』

夏樹君の態度から、私の思ったとおり男の子だと確信できたのだけど･･･女子制服を完璧に着こなしている彼の姿は、もし自分も同じ立場でなかったら気付かなかったかもしれない。
なんせ本当の女の子達に比べても、膝丈のスカートやニーソックス姿にいささかの違和感もなかったのだから。まあそれは今も、というかますます無くなってきているけど。
その後、夏樹君からこういう事態になった経緯を聞いている中で、このお嬢様の事を知ったのだ。彼曰く、女子高生になったのは彼女が発端だったと。
どうもこのお嬢様、夏樹君が家庭の事情か何かで性別を偽っていると思い込み、助けるつもりで例の祖父に頼み込んだらしい。
夏樹君にすればとんでもない話なのだけど、悪意でなく善意でそう思ってやった事と言う事で、怒るに怒れないらしい。･･･いや怒って良いのだと私は思うけど。

話が横道に逸れたけど、牧瀬さんとしては祖父の頼みとなれば断ることも出来ず、夏樹君を自分の家に招待したと言う。
「正直言って不安でしたわ･･･自分の事を知られてしまう事が。ナツキちゃんも他の人同様に離れていってしまうかもしれないと思うと。」
だが夏樹君は牧瀬さんの事を知っても態度を変えなかった、牧瀬のお嬢様とか関係なく”恵理香さん”だから友人で有り続ける、とまで言ったのだという。
まったく夏樹君らしいといえばらしい言葉だと私は思わず笑みが零れてしまう。
「思いましたわ･･･ナツキちゃんと一緒なら私は牧瀬家のお嬢様じゃなく”恵理香”で居られると。もう偽る必要は無いと････」
「それが･･･貴方が夏樹君に惹かれる理由かしら･･･？」
そう言われ牧瀬さんは顔を上げ、私を見る。互いに視線を逸らさず暫く見詰め合った後、お嬢様は先程の自信に満ちた笑みを再び浮かべて答えてくる。
「ええ･･･だからこそナツキちゃんを誰にも渡したくありません。たとえ彼女に好きな人が居たとしてもですわ。」
いい度胸している･･･そこまで言うわけだ、このお嬢様は。私は苦笑いを浮かべて彼女の挑発に答える。
「良いでしょう･･･いくらでも受けて立つわよお嬢様。」
我儘なだけのお嬢様だと思っていたけど、どうやらかなりの強敵らしい。私もうかうかしてはいられない、だから･･･
「私にとっても夏樹君は常に傍に居てほしい人。たとえどんな事があっても諦める気は無いわ。」
始まりは興味心だったけれど、今では彼の強さと優しさは、私にとってはかけがいのないものだもの。
私達は互いに相手を見つめつつ肯き合う。それにしても夏樹君、君は私達にこんな事までさせるなんてかなりの罪な女、いや男だわ。
車は何時の間にか家の近くまで来ていた。

「フェアに徹する為にもお教えしておきますわ。」
車から降りた私に牧瀬さんはそう言って話しかけてきた。
「ナツキちゃんがチョコをあげる確率の高い殿方は、かつて遊園地でデートした方ですわよ。」
「へっ･･･？」
遊園地でデートって、もしかして私が夏樹君と行った例の･･･？
「これは絶対殿方に負ける訳にはいきませんわよ宮島さん。」
「いや･･･それって･･･」
「？　何かありますの宮島さん？」
「･････」
・・・何て言えば良いんだろう？まさか『あれは”私”です』･･･とは言えないわよね。言えば余計ややこしくなるだろうし････
「そ、そうよね。たとえ相手が誰でもね。」
あ〜あ、何を言っているんだか････でもこうでも言わなきゃ牧瀬さん怪しむだろうし（泣）。
「はい！その通りですわ。私達は全力で彼との接触を阻止する気構えですわ。宮島さんもよろしくて？」
「････分かりました。」
私の返事に満足そうに肯くと、優雅な一礼と「ごきげんよう。」という言葉を残し、お嬢様は帰っていった。
それを見送りながら私は途方に暮れていた･･･まさか今頃あの時の事が関わってくるとは思わなかった。
たった一度のデート。出会って間もないくせに我ながら大胆な事をしたものだと今更ながら思う。でも･･あれがきっかけだったのだ。
私の夏樹君への想いが始まったのは････

家に戻った私は着替えると、その日の復習や課題を片付け、食事やお風呂も早々と済ませ部屋に一人閉じこもる。
まず確認するのは日程。今年の１４日は幸いな事に月曜日だったので、土曜にリハーサルし、日曜に本格的に作成という段取りがベストだろう。
色々追求されたら、クラブの皆に渡すからと言えば良いと思う。まあお父さんならいざ知らず、お母さんは直ぐ見抜くだろうけどね（偽装として父親分も作るけど）。
そこまで考え私は眠りに付く･･･のだがやはり今日の事が浮かんで眠れない。そう、孤独なお嬢様の物語をだ。
正直言って聞かなければ良かったかもしれない。そのままで居れば、ただの憎たらしいお嬢様という事で無視できていたのだから。
あんな話を聞いてしまっては、邪険にも扱えないし。とはいえお互い想い人を諦める気は無いし、ここは腹をくくるしかないだろう。とはいえ････
あのお嬢さん、このままだと”同性同士”になるって気付いているんだろうか？いや彼女は夏樹君の性別とか関係無しみたいに思っているようだけど。
そこまで考えた私はある事に思い当たり愕然となる。それってつまり私にも同じ事が言えるってことじゃないのかと。
もちろん今の状況では、という事だ。周りの夏樹君への認識は完全に女の子なのだ。つまりこのままチョコをあげて告白したら、私は完全にアブノーマル扱いだ。場合によっては引き離されて････
「だああ････！」
ベッドから起き上がり頭を抱える私。
相手に婚約者でも居て、それで引き離されるというならいざ知らず、”同性”だからってことで認められないなんて、悲劇以外の何ものでも無いではないか。
だいたい夏樹君は内面的には男で私は女。れっきとした異性同士で絶対ノーマルな関係の筈なのに、何でこうなってしまうのだろう。
この時ほど夏樹君の、本物の女の子さえ敵わない美少女ぶりが恨めしく思った事は無かった。････私って薄幸の女なのかしら？

結局この日は朝方まで、”いかに夏樹君を周りに男の子として認めさせるか？”と考えていて見事に寝坊し、学校に遅刻する羽目になったのだった。