僕はウェイトレス？

「ふー。」
カレンダーを見て深い溜息を付く一人の美少女。
綺麗なショートカットの髪の毛と適度に焼けた肌。
そして白いブラウスとチェックのフレアスカートがその魅力を引き立てている。
まさに完璧な美少女ぶりだが、その正体が実は男であることを本人以外に忘れ去られている。
木村夏樹（１６歳）　「ブルーウィンド」の人気ウェイトレス。
薄幸（笑）の元『少年』であった。
「何が『元』少年だ。僕は男だーーーーー。」
今日もナツキの絶叫が空しく響くのだった。


恵理香の家を訪問してから１週間がたった。
その間何事もなく（夏樹の周りは相変わらずだったが）比較的静かな日々が続いていた。
だがそれは嵐の前の静けさだった・・・後に夏樹はそう思ったそうである。
予兆はバイトもあと２日となったある日に起こった。
その日、夏樹は早番のシフトを終え着替えようと更衣室へ向かう為廊下を歩いていた。
そして事務室の前に来た時、ドアが開き一人の女性が顔を出す。
その女性は夏樹に気付くとニコリと笑い、話し掛けてくる。
「木村・・ナツキさん？」
突然話し掛けられた夏樹は思わず相手を凝視してしまう。
その女性は２０代後半のスーツ姿がきまった人だった。
「はい、そうですけど・・」
夏樹はこんな女性ここに居たかなと考えていると、
「ちょうどよかったわ。貴方に話があったの。」
そう言って彼女は事務室に入るよう促す。
夏樹は訳も分からないまま、事務室に入る。
事務室にはマネージャーの雅美さんが居た。
「ああ、ナツキちゃん。今呼ぼうかと思っていたの。」
夏樹を見ると雅美はそう言って立ち上がる。
「はあ、一体何が・・・」
夏樹はそう言ってソファに座る。
雅美は先ほどの女性と共に夏樹の対面に座る。
「そうそう、ナツキちゃんは直接会うのは初めてよね。
紹介するわ、店長の宮崎初音さん。」
「よろしくナツキちゃん、店長の宮崎初音です。」
そう紹介され夏樹は、バイトに入ってから店長と会ったことがないことに気付く。
（そういえば、店長さんずっと何かの用事で出張しているって言っていたっけ。）
「隣町に新しく開店するお店の準備に借り出されていてね、雅美さんには随分迷惑を掛けてしまったわ。」
店長の宮崎さんはそう言って雅美さんに頭を下げる。
「いえ、そんなことはありませんよ。それに店長の代理を上手く果たせたかどうか・・・。」
雅美さんは恐縮して店長さんに言う。
「そんな事はないわ、だってこんな素晴らしい人を採用してくれたし。」
店長さんはそう言って今度は夏樹を見る。
「そ、そんな・・・僕は。」
思わず夏樹も恐縮してしまう。
「私が居ない間よくやってくれたわ。二人には感謝しているわ。」
そう言って店長さんは笑う。
「そんなに言われると・・・恥ずかしいですね。」
夏樹と雅美は顔を見合うとお互い笑いあう。
「さて、これからが本題なんだけど。」
にこやかな笑顔を見せていた店長さんはそう言って夏樹の顔を見る。
「ナツキちゃん、雅美さんに聞いたんだけどバイトは８月一杯で終わりなのよね。」
「はあ・・そうですけど。」
バイトに採用される時にそういう取り決めをした事を思い出し、夏樹は頷く。
「勝手なお願いなんだけど・・・９月からもバイトできないかしら。」
「え、それは・・・。」
夏樹は考えもしなかった事を言われ、口ごもってしまった。
一応バイトは８月一杯で終えるつもりだった夏樹である。
それ以上の延長は考えていない、というかこれ以上女装してバイトする気は毛頭なかった。
「すいません、僕としてはやっぱり８月一杯で終えたいんですが。」
夏樹は申し訳なさそうにそう答える。
「そう・・・残念ね。」
店長さんはそう言って溜息を付く。
「そんな事言わないで何とかできないかしらナツキちゃん・・・」
雅美さんが夏樹の目を見詰めて言ってくる。
（う・・・雅美さんそんな顔をしないで下さいよ。）
「こういっちゃなんだけど今貴方に辞められると大変なの。」
店長さんはソファから立ち上がり奥の机の上にある紙束を持って来る。
「実は２、３日前からこんな投書が来てね。」
夏樹の前に置かれたのはハガキや封書だったが、数が尋常ではなかった。
ざっと見ただけで４、５０通はあった。
「これって・・・」
夏樹は嫌な予感を感じながら店長さんに聞く。
「見てみて・・・貴方に関係あるものだから。」
そう言われて夏樹はハガキ一枚を手に取り見てみる。
『ナツキさんが辞めるというのは本当ですか？是非続けてくれるようお願いします。』
「な、何だこれ・・。」
夏樹はその内容を見て思わず呟いてしまう。
他のハガキや封書も内容は同じ様な物ばかりだった。
また差出人も男女（どちらかというと女性が多かったが）で年齢も様々だった。
「それだけじゃないの。電話も結構掛かって来てね。」
店長さんは肩を竦めて夏樹に説明する。
確かに先ほどから何度も電話が掛かってきており、雅美さんがその度に対応している。
「お陰で仕事にならなくて・・一応仕事関係は携帯を使って何とかしているけど。」
夏樹は汗じとになりながら、聞いてみる。
「もしかしてそれも・・・？」
店長と雅美さんは顔を見合わせると夏樹に向かって頷いてみせる。
「ひえーーー。」
夏樹は頭を抱えてしまう。
確かにバイト中に会う人皆に「ナツキさんって今月でバイト終わるって本当ですか？」と聞かれていた。
まさかこんなことになっているとは・・・
そんな時、事務室のドアが開きクリスと恵理香の二人が入ってくる。
二人は店長に会釈して、３人が座っているソファに近付いてくる。
「いやー参ったわ・・皆『ナツキちゃんバイト辞めるんですか？』って聞いてくるし。」
「本当ですわ、『辞めないで下さい』という嘆願書までもらいましたわ。」
二人は溜息をつきながら雅美と店長に報告している。
「・・・という訳なの。これで私の言ったこと分かってくれたかしら。」
店長と雅美、クリスに恵理香、４人の視線がみんな夏樹に集まる。
「まあ、こうなったら腹をくくりなさい。」
クリスはそう言って夏樹の肩を叩く。
「そうですわナツキちゃん・・このままでは大変な事になってしまいますわ。」
それは夏樹にも想像できる事だった。
（でも、学校が始まったらいくら何でも・・・）
新学期になれば男子高生の格好に戻らなければならない。
いくら何でもその格好で店に来れば自分が女装している事がばれてしまうだろう。
（どうしたらいいんだよ・・・）
苦悩している夏樹に注がれる期待の目（笑）。
「もしかして学校の事を気になさっておられるのですか。」
恵理香が、夏樹が悩んでいる事を察して話し掛ける。
「え、まあ確かに・・・」
夏樹はほっとした表情で恵理香を見る。
（よかった・・分かってくれたみたいだ。）
だが、それはあまりも甘かった。
彼の知らないうちに事が運ばれており、もはや逃れられない状態になっていた。
「それなら大丈夫ですわ。ナツキちゃんは何も心配なさらなくても・・・。」
恵理香はニコリと笑うと夏樹に後ろから抱き付いてくる。
「ちょ、ちょっと恵理香さん。」
慌てる夏樹に恵理香は抱きしめながら言う。
「事情は言わなくても分かってます。私達はナツキちゃんの味方です。」
何のことか分からない夏樹は目を白黒させて周りを見る。
「その通りよナツキちゃん。」
「そうそう、私達はちゃんと分かっているんだから。」
「何があってもナツキちゃんを守ってあげるわ。」
残りの３人もそう言って夏樹の事を見詰める。
（一体何なんだ・・・これ・・。）
どうも自分の知らない所で何かが進んでいる様な感じを受ける。
（ま、まさか・・母さん・・・？）
今日家を出る時に母親が言った事を思い出す夏樹。

「今日は８時までに帰ってくるんだよ。」
「８時って、何かあるの？」
そう聞く夏樹に母親はニヤリと笑って答える。
「帰ってくれば分かるさ・・ただあんたにとっては大切な事だからね。」
絶対忘れないようにと言われて送り出された夏樹だったが・・・

逃れられない・・・夏樹は完璧な包囲網の中にいる自分を自覚していた。
もはやこのままバイトを続けるしかなかった（正確には、断ったその後を考えて怖くなった・・・）。
夏樹は観念して宣言せざるしかなかった。
「はい・・・９月からもお願いします・・・。」
こうして夏樹のバイトは継続されることになったのだった。
クリスと恵理香、雅美はもちろん大喜びし、店長もほっとした表情でお礼を言ってくる。
「ありがとナツキちゃん、今後ともよろしくね。」
「はあ〜。」
肩をがくりと落とし、深く溜息をつく夏樹であった。

９月以降の契約更新や勤務シフトは後日決めるとして夏樹は開放される。
憂鬱な気分のまま着替えて夏樹は家路を急ぐ。
一体この後何が待っているのか・・・？
足取りが重い夏樹だった。

家の前に来た夏樹は、見慣れない車が止まっている事に気付く。
（まさかこれが母さんの言っていた事と関係が・・・。）
しかし考えていてもしょうがないので、その車の横を通り玄関に向う。
だが、玄関前に立ったもののドアを開けるのを躊躇する夏樹。
ここを開けて家に入ってしまったら、もう引き返せないのではないのか。
嫌な予感を感じ、家に入れない。
しばらくドアノブを見詰めていたが、何時までもそうしているわけにいかない。
意を決するとドアを開き玄関に入る夏樹。
ふと下を見ると見慣れない男女の靴が２足あった。
夏樹の父親は単身赴任中でめったに家に帰ってこない。
母親がこんな靴を持っているのを見た事はない。
つまり両方とも家に来ているお客の物という事になる。
ますます嫌な予感を感じる夏樹だった。
一瞬逃げ出そうかと思ったが、それより早く夏樹の帰宅に気付いた母親が奥の居間から出てくる。
「あら、お帰り。そんな所に突っ立ていないで早くこっちに来なさい。」
夏樹は開いている奥の居間の方を見ながら母親に聞く。
「それはいいんだけど・・誰が来ているの？」
母親はにっこり笑うと答える。
「行けば分かるわよ、さあ早く。」
母親に促され居間に向う夏樹。
さながら死刑執行される囚人の気分だ。
「失礼します・・・。」
居間に入り挨拶しようとして夏樹はそこで固まってしまう。
そこに居た男女二人に夏樹は見覚えがあったからだった。
女性の方は自分の担任の教師・長谷川涼子。
若いが教え方に定評があり、また生徒の気持ちを分かってくれる事もあり人気がある教師だ。
（な、なんで長谷川先生が・・それに隣の人は？）
夏樹にとって担任の長谷川先生よりも隣にいる人物がここに居るという事に驚いていた。
その人物に夏樹は直接会った事はないが、顔や声を学校で見聞きしている。
そう、それは学校の理事長だった。
（何で理事長が家に・・・。）
あまりの事に混乱し、頭が真っ白になり立ち尽くす夏樹。
「ほら、ボーとしていないで座りなさい。」
後から来た母親に言われ、ようやく我に返る夏樹。
慌てて二人の前に座ると、母親もその隣に座ってくる。
「さて、木村君・・いえ木村さん。」
長谷川先生は夏樹が座るのを見ると、話し掛けてくる。
「先生、その・・僕は・・。」
何か言おうとする夏樹を制して長谷川先生は話を続ける。
「事情の方は、理事長先生と一緒に今お母さんの方から伺ったわ。」
何を言って・・そう思った夏樹は母親の方を見るが、何故か俯いている。
「先生も今のままではいけないと思うの。」
先生は真剣な表情で夏樹を見て話す。
「人はその性別に合った姿や生活をしなければいけないわ。」
（な、何を言ってるんだ・・・。）
夏樹はだんだん話が変な方向に進んで行くのを感じた。
（これじゃ、僕が性別を偽って生活していたみたいな・・・。）
そこまで考えて夏樹は今自分の置かれている状況が理解できた。
「貴方にも深い事情が有るのは理解できます。でも、もう無理をしなくてもいいのよ。」
そう言って隣の理事長を見る。
「長谷川先生の言われる通りです木村ナツキさん。」
理事長もまた真剣な表情で夏樹を見る。
「教育者としてもこれを放置しておけません。だから今日来ました。」
理事長は今度は母親の方を向いて話し掛ける。
「お母さん、お気持ちは分かりますが娘さんの為にもここはご理解下さい。」
そう言われた母親は両手で顔を被うと、か細い声で言う。
「分かりました。私たちの我儘といえやはり酷い事をしてきてしまいました。」
（な、何のつもりだよ母さん・・・？）
今まで見た事もないその姿に夏樹は混乱を深めてしまう。
母親は顔を上げると長谷川先生と理事長を見る。
「この子の事、お願いします。」
「ちょっと母さん・・・！」
母親のセリフに夏樹は慌てて声を掛けようとするが。
「分かりました、我々にお任せ下さい。市長も協力して頂けるそうですし。」
（し、市長？！・・・何だよそれ？）
突然出て来た意外な名前に夏樹は絶句する。
「そういう訳で木村さん、貴方は９月の新学期からは女生徒として登校すること。」
事態の進展に付いていけない夏樹に、長谷川先生はさらに追い討ちを掛けてくる。
「は、はいっ？！それって・・・。」
「制服の方は美術部の三枝さんの夏服が有るそうだから、あとは冬服や体操着ね。」
長谷川先生はメモを見ながら言う。
「いや、先生、僕は・・・。」
「生徒手帳の作り直しを行いますから、当日は登校したら理事長室に来てください。」
夏樹が戸惑う中、話はとんとん拍子に進んで行き、夏樹は声を挟むヒマさえなかった。
「クラスの子達への説明は私が責任を持って行いますから心配しないでね。」
長谷川先生はそう言って夏樹の手を握りしめる。
「私は最後まで貴方の味方よ、だからがんばって。」
理事長も夏樹の方に手を置き、力強く話し掛けてくる。
「私もだよ、いや教師一丸となって君を守ろう。」
「だから、先生、理事長、そうじゃなくて・・・。」
夏樹は何とか話をしようとするが、二人は感極まっていて全然聞いてくれない（笑）。
それに加え火に油を注ぐように母親が二人に言っている。
「ありがとうございます。この子は幸せです、こんなに皆さんに思って頂けて。」
「いえ、教育者として当然です。それに彼女は学校の誇りですし。」
「私もこんな生徒を担当できて幸せです。」
夏樹の思いを他所に盛り上がる３人。
絶望的な状況に気が遠くなる夏樹。
もはや運命はここに決まったのだった。

「ど、どういう事だよ、母さん？！」
担任と理事長が帰った後、夏樹は母親にくってかかっていた。
「何言ってんの、あんたこのままだったらどうなっていたか分かるのかい。」
対して母親は冷静に娘（笑）に答えてくる。
「男である事がばれて変態扱い、学校にもここにも居れなくなる所だったんだよ。」
それは夏樹も恐れていた事だったが、それだからといって・・・・。
「じょ、女子高生として学校へ通えって言うのかよ。」
夏樹はあまりの事に頭を抱えてしまうが母親は能天気に答える。
「大丈夫だって。今更誰もあんたを男だって思っていないから。」
「そりゃまあそうだけど・・・ってそういう問題か・・！？」
「それに前々から”娘”が欲しかったんだよ。」
「はぁ〜。」
母親のあまりにも呑気なセリフに脱力してしまう。
バイトの継続も決まり、９月からは女子高生としての登校も決定したのだった。

ちなみに夏樹のバイト継続の話は翌日には広まっており、今度は感謝や応援の手紙や電話が殺到したそうである。
また、従業員やバイトの人達にも喜ばれ、歓迎された。
もっとも本人はそれどころではなかったのだが。

こうして夏樹は１６年間の男としての日々を終え、
女の子としての新しい日々を始める羽目になった。
果たしてこの先どうなるのか・・・それは誰にも分からなかった。