魔狼剣・飛雷

朝。太陽の光が小さな農村の地を照らす。空が蒼さを増す頃、村人達が畑を耕し始める。

その中で、大勢の村人から少し離れた所で左手一本で作業をしている少年がいた。
薄汚れた布で巻かれた彼の右手は使えないらしい。布の切れ端から覗く彼の右手の甲に刻まれた大きな傷跡が、それを物語っている。
彼のそばにある大樹の陰では、大きな犬が寝そべっている。
他人からは異様にも映る彼の銀色の髪は、太陽に照らされ光り輝いていた。彼自身、自分の髪の色のことで、他人から気味悪がられている事はわかっていた。だが、父に連れられて辿り着いたこの村しか住む場所 は考えられなかった。
この地でさえ他人から避けられてしまうこの髪の色では、父と離れて新しい大地で一人では生きてゆけないと思ったし、それに、ただ一人だけ味方になってくれる女性が……。

「お昼まだだったわよね、隼人」
「え…？」
隼人と呼ばれた銀髪の少年は、不意にかけられた声に振り向く。
「綾女さん…」
「はい、お弁当。お父さんに作ってもらってなかったでしょ」
お弁当を持ってきたという少女─綾女─が二つの布包みを抱え隼人のそばに寄ってきた。そして木陰の犬にも話しかけながら、小さめの包みを掲げて振る。
「ほら、ライくんのも持ってきてあげたわよ」
（わんわん、わん）
「こ、こら、ライっ…」
犬のライは、綾女に飛び寄り自分の包みをくわえると、中の食べ物をぱくぱく食べ始めた。
「隼人も食べて。私が握ったんだけど」
「握り飯…？」
「そう、片手でも食べやすいでしょ」
そう言いながら綾女が開いた包みの中には、人間のこぶし大で多少不格好な形のご飯の固まりが２、３個あった。それを見た彼女は、あせったあまりおかしな言い訳をする。
「あ…ちょ、ちょっと形が変よね。でも梅干し入りなのよ」
「……」
一瞬の沈黙が流れた。その静寂を破ったのは…
（ぐぅるるう、きゅー）
隼人の腹の虫が鳴った。綾女はにこっと笑って隼人にお弁当を手渡した。
「ね。もうお昼だって鳴ってるわよ」

一休みすることになった隼人は、近くの草むらに座り込んで握り飯を一口二口食べていた。その隣で自分の握ったご飯を食べながら、綾女が心配そうに彼を覗きこんでいる。
「おいしくなかった？あんまり食べてないみたい…」
「あ、いや、そんなことないけど…、その…」
隼人は少し離れてそれぞれのお昼を食べている村人達を見た。彼らは隼人達のことが気になるのか、二人をちらっと見ながらひそひそ話をしている。
「綾女さんまで変な目で見られてるから…オレに関わらない方が…」
「その髪のこと？」
綾女は、隼人の髪をそっと触れた。太陽の光で銀色がさらに輝きを増している。
「あ…」
隼人は反射的に頭をそらした。
「あ、ごめんなさい。でも私、気になんてしてないわよ。だって、あれ、事故だったんでしょ」
「事故…」
隼人の脳裏に、自分の髪が銀色に変色した時のことがよぎった。雷にうたれたあの日のことを。
「雷様が落ちてきたんだもの。その右腕だって、あれから動かなくなっちゃったんでしょ。そういえば、ライも一緒に雷様に当たって額にケガしたのよね」
綾女はライの額に残った傷跡を優しくなでた。ライは気持ちよさそうに目を閉じる。
「そんな大変な目にあったっていうのに、みんな冷たいんだから」
綾女は、離れてひそひそ話をしている村人達に非難の目を向ける。
「仕方ないよ。オレ、見た目が普通と違うから…」
（わんっ、わんわん、わんっ）
急にライが畦道の方に向かって激しく吠えはじめた。
「どうした、ライ」
隼人には一瞬、ライが何もない空間に向かって吠えているように見えた。その直後、村人達が慌ててライの 吠えている先へ集まっていった。彼らが向かった方向から馬の蹄の音が聞こえてくる。
「綾女、そこにおるのか？」
「父様？」
姿を現したのは村長でもある綾女の父。そして、その後ろにいる馬上の二人は、江原と日下部だった。村人達は二人に対して土下座をしている。
「村長、そちらがおまえの娘か」
「は、はい、江原様。綾女、こちらに来なさい」
村長は少し狼狽しているように見えた。
「あの…父様、何かあったんですか？」
綾女は父の方へ足を進めた。ライは綾女の動きを止めようとするかのごとく、低い唸り声をあげる。
「よ、よせ、ライ…」
隼人がライの唸りを止めようとする。隼人に首を捕まれながらもライの唸りは馬上の二人に向けられていた。
「…ほぅ」
日下部が隼人達の様子に気づいた。
「これはまた、畜生ながらイキがいいですな」
「も、申し訳ありませぬ、日下部様。これ、隼人、速やかに下がりなされ」
「まぁまぁ、今回は大目に見ましょう」
そう言いながら、日下部は隼人の姿を見て目を細める。まるで面白い玩具を発見したかのように。
「珍しいですからな、銀の髪というのは。もう少しよく見せてもらいたいものです」
「……………………」
「…隼人…、とか言いましたね。あまり手間はかけさせない方が身のためですよ」
（うー、わんっ、わわんっ）
「……………………………」
日下部と隼人が睨み合っているところへ江原が苛立ち気味に口をはさむ。
「日下部、今日はおまえの趣味につき合っている暇はない。早く用事を済ませて帰るぞ」
「これはとんだご無礼を。では」
日下部は、馬上から上体をかがめ、そばにいた綾女をすくい上げると、素早く彼女を後ろに乗せた。
「それでは、村長。確かに娘をもらい受けたぞ」
日下部の腕の中で、何が起こったのかわからない様子の綾女が父の顔を見る。
「父様？！どういうことなんですか？」
「しっかり掴まってないと落馬しますよ。何せあなたは」
日下部は綾女に言い聞かせるように顔を近づけた。
「めでたくも江原家に輿入れなされたのですから、気をつけていただかないと」
「…え…？」
「話は城内にてゆっくりと…。ハイヤっ」
気合いを入れられた馬は城内に向かって走り去っていった。それを見守る村長。表情は暗い。ライの方はようやく唸りをおさめていた。
「村長、いったいどういうことなんですかい？」
「お輿入れだなんて、何か急な話みたいだったけど」
村人達が村長の回りに集まってくる。
「いや、別に…」
そう言いながら村長は隼人の方を見た。その表情は哀れんでいるかのように複雑に歪んでいる。そして少し低い声で言葉を発した。
「隼人くん、話がある。ちょっと来てもらえぬか」
「は、はい」
その後、村人達に対しては普段と変わらない表情で語りかけた。
「他の皆さんは仕事に戻ってください。お騒がせしてすみませんでしたね」
いつもの人当たりの良い村長の姿がそこにあった。

§　　　　　§　　　　　§　　　　　§　　　　　§

村長の家。
隼人は村長と向かい合わせで座っている。他には誰もいない。
おもむろに村長は険しい表情で隼人に結論を切り出した。
「……このまま村を出ていってくれまいか」
「ど、どうして急に…？」
隼人はそう言いかけてはっと思い当たった。
「…さっきの輿入れのことと関係あるんですね」
村長はそれには答えない。
「理由がよくわかりません。いったい何があったんですか？」
村長は回りに誰もいないか確認するように辺りを見回してから、隼人に小声でささやいた。
「君の父上は、十年前は前領主・柴宮家の重臣だったね」
「ど、どうしてそれをっ…！」
「しっ。どこで誰が聞いているかわからん。まだ江原は落武者狩りを続けていると聞く」
この領地はもともと柴宮家のものだったが、十年前の戦争で江原に剥奪されてしまったのであった。
「実は、君の父上の正体がバレそうなのだ。それで君だけでも逃がすように父上から頼まれてね」
「村長、あなたはいったい…」
村長はますます声を潜めて、隼人にかろうじて聞こえるように口を開いた。
「…君の父上とは昔、同志だった男だ。いや、正確には、身分を隠して柴宮の関係者を裏方より援護するよう、密命を受けた一族の末裔だがな」
「オレのことより、綾女さんはどうするんですか？」
「綾女のことは仕方あるまい。権力者が若い娘をもらい受けるのは、他国でもよくあること…。
…ただ…」
村長は、目を伏せて肩をふるわせた。
「私が柴宮の関係者だと知られたら、娘は何をされるかわからん。私自身は直接関係ないのだ。もちろん娘も…。
時代は変わっているというのに、なぜ先祖代々からの忌みごとが子孫につきまとうのだ…」
「村長…」
「あ、いや、すまぬ。と、とにかく、私にできることはこれで最後だ。これ以上かかわると密命の意味がなくなる」
村長はそう言いながら懐から包みを取り出すと、それを隼人に手渡した。
「君の家は、遅かれ早かれ包囲されるだろう。
父上から万一のためにと預かっているものがあるから、これを持って、このままここからすぐに立ち去ってくれ」