暗闇が全てを覆っている。
自分の身体さえ見ることの出来ない世界に薫は立っていた。
不思議な事に恐怖は感じなかった。こんな世界に一人で放り出されたら大概はパニックになってもいいはずなのに。

ぼぅ･･････

目の前に淡い光の柱が現れた。そして光は人の形を取り始める。
「････ようやく来ましたね････私の力を継ぐことの出来る････者が････」
現れたのは一人の少女だった。腰まで伸びた髪が美しい。薫は一瞬見とれる。

「････でも････今のままでは･･･駄目････貴方は･･･」
「私の･･･元に････そして････」
「････継ぐ･･･刀････」
「･･･････････」

光が炸裂する。衝撃を感じ、薫は目を閉じる。
「わああ！」
突然足元が消え、落下してゆく感覚に薫は悲鳴を上げてしまう。


「････え？」
明かりの消えた部屋の天井が見える。しばらくそれをぼーとして見ていた薫は身体を起こす。
「・・・変な夢だったな････あれ誰だろう？」
何となく慧さんに似てなくは無かったが、彼女よりはやや年下の感じだった。
取り合えずもう一度寝ようとした薫は、窓から差し込む光に気付く。
「････？」
ベッドから起き上がり、窓に近づく。躊躇しながらも手を伸ばす薫は、その光が夢で見たものと同じ光だと気付く。

ガラガラ････

窓が開き、外気が入ってくる。春先とはいえまだ肌寒く、薫はぶるって震える。
光は･･･薫の居る部屋の正面にある丘の中腹あたりから、こちらを照らしているようだった。
この丘は神社の裏側にあたり、普段は人が立ち入ることの無い場所の筈だ。
「あの丘には危険な場所があるから絶対立ち入ってはいけない。」
ここに来る度に、母親や叔父から聞かされた言葉だ。もっともその理由は聞かせて貰えなかったが。
「何が起こって････」
その光を見つめているうちに薫の意識は何かに吸い込まれ消えてゆく。

やがて彼は夢遊病者のように覚束ない足取りで部屋を出て行った。


何かの物音に慧は目を覚まされる。首を回し机の上の時計を見ると、午前２時過ぎ。
妙な予感がした慧は、起き上がり部屋を出る。
「薫君？」
彼の部屋の扉が開けっ放しになっている。中にはその姿はない。ふと窓を見た慧は差し込んでくる光に気付く。
部屋に入り窓から見た慧は、丘の中腹の光と･･それに向かってふらふらと歩く薫の姿を見つける。
「何が･･･？」
ただの散歩ではなさそうだった。何しろ薫は上着を着るどころか、靴さえも履いていない。
最初感じた予感が現実になろうとしている。慧は急いで自分の部屋に戻ると、コートを引っ張り出し羽織る。
「どうしたんだ慧？」
物音に気付いた真一が自分の部屋から出てくる。
「薫君の様子が変なの･･･それに封印の丘から光が･･･」
「何だと！？」
慌てて真一は窓に駆け寄ると、丘を見る。確かに光が出ている、それもこちらに向けられて･････
「薫君まるであの光に引き付けられるように歩いていったわ。」
ペンライトを持ち、慧は玄関に向かう。
「待て･･･わしも行く。」
部屋に戻りジャケットを羽織ると真一は慧の後を追って玄関に向かう。


月明かりさえ差し込まない暗い道を薫は迷うこともなく歩いていた。だが目は焦点が合っておらず、顔からは表情が抜け落ちている。
やがて薫は古ぼけた社が建つ場所にたどり着いていた。彼はその中に潜ると、ぼろぼろになった石畳を歩いて奥に向かう。
そこには幾十にも注連縄で覆われた祠の扉があった。その扉に手を伸ばす薫。

バチン！　バチン！　バチン！

注連縄が次々と切れてゆく、だが薫は触ってもいない、ただ手を掲げているだけである。

ぎぃぃ･･･

錆び付いて開きそうもなかった扉が、独りでに開いてゆく。掲げていた手を下ろし、薫は祠に入って行った。


一方、薫が向かった祠に急ぎながら慧は父親に祠の事を聞いていた。
「お父様、あの祠は確か・・・」
「･･･ああ、歴代の『封印の巫女』達の中で最強と言われた巫女、”神北綾”が自分の御神刀を納めた所だ。」
『宮内神社』が他の神社とは違うのは、この『封印の巫女』と呼ばれる存在の為なのだ。


そもそも『封印の巫女』とは何なのか？
何を封印するというのか？
『宮内神社』はいったい何の為に存在するのか？

それを説明するには、『妖（あやかし）』と呼ばれる存在を知る必要がある。長くなるが暫くお付き合い願いたい。


『妖』が何時ごろからこの地に現れるようになったかは定かではないが、記録に残る最古の物は江戸時代に遡る。
当時、この地に現れた『妖』は人々を次々に襲い、家や田畑を荒らし、荒れ狂っていたという。
当時この地を収めていた藩が、『妖』討伐の為に多数の武士達を送ったが、ことごとく返り討ちに遭い、効果はまったく無かった。
そんな時、一人の女性がこの地にやって来た。
彼女は人々の話を聞くと、自分が『妖』を封じると言い出した。
だが人々は信じなかった。何しろ歴戦の武士達でさえ敵わなかった相手だ。それが女性の細腕でどうかなるとは思えなかった。
それに、その女性が用意してくれるように頼んだ物は、刃が潰れた刀を二振り。さすがに正気の沙汰では無いと人々は口々に言った。
人々のそんな声の中、女性はその刀を持って一室に篭り、３日出てこなかったという。
そして人々が諦めかけていたその時。
刀を持った女性が再び姿を現すと、村娘の一人を指名し、『妖』の巣と化していた山に分け入っていった。
固唾を呑んでその様子を見ていた人々の前で、その女性と村娘の二人は、次々と『妖』を封じていった。
たった二人の女性が、切ることも出来ない筈の二振りの刀で、武士すら敵わなかった相手を封じたことに人々は驚愕した。
やがて全ての『妖』を封じた女性は、感謝する人々に、今後このような時の為に備えて神社を建立するように諭したとされる。
もちろんその女性の力を垣間見た人々が反対するわけはなく、数ヵ月後、その神社は完成する。
完成後、その女性は、自分と共に『妖』を封じた村娘に封印の技全てを伝授し、それを後世に伝えるよう言い残してこの地を離れた。
その後この神社は『妖』を封じる役目を担う、あの村娘の子孫達によって現在まで続いている。
そうこれが『宮内神社』と『封印の巫女』の誕生であると言われている。

言っておくがこれは過去の伝承の話ではない。
今も『妖』の災厄は続いている。いやむしろ酷くなっている。
一番の原因は、人々が過去『妖』に対して持っていた畏敬の念を忘れてしまったことだった。
近代的合理主義は、『妖』の存在をナンセンスなものとし軽んじたのだ。科学者達は単なる集団幻覚とさえ呼んだ。
過去の戒めを込めた伝承を忘れ、禁忌の地に踏み込み、守護の役割を込めた遺物を破壊してしまう･･･
その代償は大きく、桜木市で起こる事件・事故の３分の１は、今や『妖』がらみと言われるほどだ。
お陰で『封印の巫女』は今も『妖』を封じ続けている。


今現在の『封印の巫女』は慧が継承している。５年前病死した母に代わり、その役目を引き継いたのだ。
そして、”神北綾”は慧の三代前の巫女にあたる人物だが、そのわりに彼女について知っている事柄は少ない。
先代の巫女、つまり慧の母親からは詳しい話を聞く前に本人が他界してしまった為だ。
父親の真一はいわゆる入り婿で、歴代の巫女達については、実はあまり詳しくはない。
二人が知っている事といえば、”神北綾”が歴代の巫女の中では一番の実力を持っていたということくらいだ。


「でもあそこは強い結界のせいで誰も近寄れないはずでしょ？」
ペンライトで前方の道を照らしながら慧は、後ろから付いてくる父親に確認する。
「確かにそうだが････どうも変な胸騒ぎがする。こんなこと今まで聞いたことがないからな。」
”神北綾”の封印の祠については、先代の宮司から引き継いではいたが、こんな現象の話は無かった。
「･･･でも何故薫君が？彼と”神北綾”とどんな関係があるというのかしら。」
確かに薫も、神北一族の血を引き継いではいる。その点は血統に入っていない真一に比べれば、何かしらの関係は有るだろう。
だが『妖』に関する能力は、神北一族の血を受け継いだ女性のみに現れ、男には現れないと言われている。
もっとも、神北一族の直系には男の子供は過去に遡っても存在しなかったので、真偽は不明だが。
これは『妖』を封じる力が女性のみ伝わっている事と関係があるのかもしれないと言われている。
「彼は神北一族の血統の中ではたぶん初めての男の子供だ。それと関係があるのかもしれん。」
他の血統の者と結婚しても女性の生まれる確率の高い一族のなかでは、薫は例外的な存在だったのだ。


祠の中は祭壇から発する青い光で照らされていた。
その中を薫は、祭壇に向かって覚束ない足取りで向かって行く。
やがて祭壇の前に立った薫は、そこに置かれていた物に手を伸ばしてゆく。まるで何かに導かれるように････
彼が手にしようとしている物････それは刀だった。発する青い光は手が近づくにつれ、強くなってゆく。
そして手が触れる。薫は暫く触れたまま動かなかったが、やがて両手で握ると目の高さまで上げ、刀を抜き始める。
慧と真一の二人が、たどり着いたのはまさにその時だった。
「結界が・・・！？　信じられん。」
「薫君？！」
次の瞬間、先ほどとは比べ物にならない光が、薫を中心に閃く。続いて衝撃が襲ってくる。
二人は扉の前から吹き飛ばされる。加えて光のせいで、目が眩み動けなくなる。
ようやく動けるようになったのは、５分以上経ってからだった。慧は頭を振りながら立ち上がり、祠へ向かう。
「大丈夫？薫君。」
慧はふらつきながらも何とか祠の中に入り、祭壇の前に倒れている薫の傍らに屈みこみ、彼を覗き込む。
「････！？　こ、これって････」
だが、次の瞬間慧は絶句する。祠の床の上に倒れているのは、確か彼女の二つ年下の従兄弟･･･だったはずだ。
しかし今そこに倒れているのは････床に広がる黒い長髪とはだけたパジャマの胸元から見える盛り上がった胸････
倒れているのはどう見ても女性･･･いや年の頃は自分よりやや年下だろう少女だった。
「どうした？薫君は大丈夫なのか････」
後ろから掛けられた父親の声に、慧は我に返ると振り向いて答える。
「ちょっと待っていて下さいお父様。」
慧は急いで胸元の乱れを直し、整える。女性の身体かもしれないものを男性に見せるのは不味いと思ったからだ。
「すいませんでしたお父様、こちらへ。」
先ほど後ろで待たせていた父親を呼ぶ。そしてやって来た真一はその少女を見て固まる。
「着ているパジャマは薫君のものです･･･ということは･･･」
予感は最悪の形で的中したと慧は思った。それにしても何故こんなことに？
「？　これは････」
薫の手に握られている物に慧は気付く、同時に真一もまたそれに気付き、顔を引きつらせて言う。
「これは･･･御神刀？ま、まさか薫君はこれを･････」
「お父様？」
難しい顔をして黙り込む真一。そんな父親を不安そうに見つめる慧。暗闇に沈む祠内に沈黙が落ちる。
「兎に角、薫君を早く部屋に連れて行こう、それからだ。」

何が起ころうとしているのか？････夜はまだ明けそうにもなかった。