しばらく私と慧さんを交互に見ていた『妖』は、標的を決めたようだった。

ぐぅぅおおー！

慧さんに向かって突っ込んで行く『妖』。どうやら手強いのは彼女だと思ったらしい。
確かに腰が引け立っているのがやっとの私と、『御神刀』を構え微動だにしない慧さんでは、そう見られてもしょうがない。
「･･････！」
突進してくる『妖』を冷静に見ながら横に素早い動きで避ける慧さん。かわされた『妖』は後方の木々に激しくぶつかる。
しかし木を１、,２本倒しながらも、『妖』はたいしたダメージも無いようで、唸りながら慧さんを睨みつける。
だが先ほどのような無謀な突進をしようせず、飛び掛るチャンスを伺って姿勢を低くし身構える。
二者の間に高まる緊張感････互いに仕掛けるタイミングを計り合いながら対峙する。
私はその様子をただ見ていることしか出来ずにいる。
先に仕掛けたのは、慧さんだった。『御神刀』を構え、祝詞を唱えながら、『妖』に突っ込んで行く。
「蒼き浄化の炎よ、我に従い、邪気なるものを、封印したまえ！！」
『御神刀』を振り下ろし、慧さんが力を放つのを、私は感じる。

ボァァ！！

『妖』の全身に青い炎がまとわりつき、『妖』が身体を激しく捻る。
「････やった？」
これで終わったと私が思った瞬間･･･炎がすうっと消えていったのだ。もちろん『妖』はいまだ封印はされていない。
「弾かれた？」
ショックだったのだろう･･･慧さんがそう言って動きが止まってしまう。
『妖』がそんな瞬間を見逃すはずもなく、呆然として動けない慧さんに飛び掛る。
「慧さん危ない！！」　
「！？」
私の声に我に返った慧さんは身を翻そうとしたが、避けきれず弾き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
「大丈夫ですか？」
私は慧さんのもとに駆け寄ると、抱き起こして声を掛ける。
「お、思ったより強いわ、この『妖』････」
叩きつけられたショックで意識が朦朧になっている慧さん。幸い、酷い怪我を負ってはいないようだったが。
一方慧さんを弾き飛ばした『妖』はこちらを伺いながら、じりじりと接近してくる。
何とか慧さんを引きずって距離を置こうとする私だったが、思ったように距離は開かない。
いくら女性とはいえ人一人を動かすには今の私の腕力では無理みたいで、強い絶望感に襲われる。
「綾ちゃん･･･貴方だけでも逃げなさい･･･早く！」
「そ、そんな事出来ません！！」
慧さんを庇いながら私は叫ぶ。ここで見捨ててしまったら一生後悔する事になってしまう。
必死で逃げようとする私たちを『妖』は嫌になるくらいの余裕を持って迫ってくる。
何で･･･何でこうなるんだろう、どうして･････私の中に理不尽なこの状況に対する怒りが湧き上がってくる。
その怒りがやがて私自身に向けられる、お前はやるべき事を何故しないのかと･････
「･･･私が･･･封印します。」
そうだ･･･やらなければならない･･･私は『封印の巫女』なのだから。
　
「綾ちゃん？」
今まで慧を必死に移動させようとしていた綾が、そう言って立ち上がり、迫ってくる『妖』と対峙する。
恐怖のあまり萎縮していた綾では無かった。そこには強い使命感を持ち、立ち向かおうとする巫女の彼女がいた。
それと共に慧は、綾から放たれてくる、力強い力を感じていた･･･今まで経験した事の無い程の。
慧の持つ『御神刀』が小刻みに揺れる・・・刀もまた綾から放たれる力に反応しているのだ。
そしてその力は、今まさに襲い掛かろうとしていた『妖』もまた感じているようだった。
先ほどまでの獲物を嬲り者にするような雰囲気が消え、恐れを全身で表し始めている。

ずずず････

綾が草履を前に滑らせながら『妖』に近づいてゆく。

ざざざ･･･

威圧されるように『妖』が退く。もはや勝ち誇っていた姿はそこには無かった。今や追い詰められた状態だ。
「蒼き浄化の炎よ･･･」
空気が一変した。薄暗い森の中に綾の厳粛な祝詞の声が響き、聞き慣れている筈の慧ですら、その音色に引き込まれる。
「我に従い･･･邪気なるものを･･･」
圧倒的な力の前に『妖』は逃げる事さえ叶わない状態だった。数倍はでかい筈の身体が、綾の前では小動物の様に見える。
「封印したまえ！！」
封印の祝詞が完成し、綾は『御神刀』を『妖』に向かって振り下ろす。

ぐぇぇぇぇぇ･･･････！！！！

先ほどの慧のものとは比べられない程の青い炎に包まれ、『妖』は凄まじい絶叫を上げて地面を転げ回る。
必死に逃れようとするが、炎は『妖』の身体を完全に捕らえ、離そうとはしなかった。
そして････眩い光を発したかと思うと、その姿は消え、後には数個のどす黒い玉が転がっているだけだった。
「･･･これが･･･綾ちゃんの力･･･最強の『封印の巫女』････」
『御神刀』を振り下ろしたままの状態で立つ綾の姿を見ながら、慧は呆然と呟く。
そして生前の母親に聞かされた『神北綾』の伝承を思い出す。
曰く、『神北綾』は自分の数倍はでかい『妖』を意図も簡単に封じた････抵抗する間を与える事もなく。
話した母親も、聞いた慧もその時は、伝わるうちに大きくなっていった噂話の一つだと思っていたのだが。
今目の前に展開している状況は現実のものだった。伝承は事実だったのだ。それを神城綾が証明した。
まだあちこち痛む身体を起こしながら慧は、最強の巫女となった綾を見つめるしかなかった････

ぺたん

突然、綾はその場に座り込んでしまい、俯いて肩を震えさせ始めた。
「綾ちゃん？」
慧は痛む身体に眉をしかめながら、綾の前から顔を覗き込もうとしたとたん････抱きつかれた。
「あ、綾ちゃんどうした･････」
「う･･う･･怖かった････とても怖かった････」
涙をぼろぼろ流しながら、うわ言のように言う綾に、慧は面食らった。
そこには先ほどまであった最強の巫女の面影は無く、ただ泣きじゃくるだけの普通の少女の姿があるだけだった。
････そうよね･･･例え最強の力を持っていたとしても、彼女はまだ巫女になったばかりだもの、怖くない筈は無い。
そんな彼女が、私を助ける為とはいえ、あれほど凶暴な『妖』に一人で立ち向かったのだ。
慧はそんな健気な従妹を愛おしく思い、彼女が泣き止むまでそっと抱きしめてあげていた。

暫くして落ち着いた綾が、自分の状態に今頃気づいたのか、真っ赤になる。
「あ･･あの････慧さん？」
その姿に慧はますます愛おしさが沸くのを覚える。だから赤面の理由を知りながらも綾を抱きしめるのを止めない。
「落ち着いたかしら綾ちゃん？」
悪戯っぽい笑みを浮かべ綾の顔を覗き込みながらそう聞く。
「はいもう大丈夫ですから････あの・・・離してもらえると助かるんですけど････」
本当はまだ抱きしめていたいのだが、自分も怪我をしているし、封印された『妖』をそのままにして置けない。
慧は身体を離し何とか立ち上がると、怪我の状態を確かめる。どうやら咄嗟に受身をとったので、軽い打撲程度で済んだようだ。
「怪我はありませんか慧さん？」
「ええ、たいした事は無いみたいだけど････それより綾ちゃんの方こそ大丈夫なの？」
心配そうな表情で聞いてくる綾だが、そう聞いてくる本人が座り込んで動けない状態では、そっちの方が心配になる。
「はい何とか････よっと･･･」
綾も何とか立ち上がる。少々足元が覚束ないようだが、怪我は無いみたいなので慧はほっとした。
「取り合えず玉を集めて札を貼り付けないと････」
封印された数個の玉に二人は手分けして札を貼りつけると、それを一箇所に集め、持参した風呂敷で包む。
後は帰り際に他の玉を回収し、工事現場の『封印石』に封印の解かれていない『妖』が居ない事を確認すれば、全て終わりだ。
もっとも、集めた『妖』を神社に持ち帰り、新しい『封印石』に収めるという儀式がまだ残っているが、それは急ぐほどでもない。
私達は手早く『妖』を封じた玉を集めて回ると、混乱を避ける為裏門に密かに横付けされた車に向かう。
今頃正門の方では、警察の事件終結の発表でマスコミの注目が集まっているので、気づかれる心配をする必要はない。
さして問題も無く車に乗った私達は一旦神社に戻り、封じた玉を宮司である父に託すと、工事現場に向かい、『祓い』を行う。
一連の事を終えて、再び神社に戻れたのは、すっかり日の暮れた後だった。

「つ、疲れました･････」
『御神刀』を祝詞を唱え、神棚に戻したとたん、私はその場に脚を放り投げ座り込んでしまった。格好は悪いがしょうがない。
すっかり気力を使い果たし、動く気がしなかったのだ･･･それを見て慧さんが微笑んで言う。
「お疲れ様綾ちゃん････今日は良くやってくれたわ。」
「慧さんこそお疲れ様でした････」
座り込んでしまった私の傍らに慧さんも座ってくる。そして私達は顔を見合わせて互いにほっとした表情で肯き合う。
長い一日だった････私の一生でこれほど長く感じた一日は生まれて初めての経験だったけど、達成感もあったのも事実だ。
『封印の巫女』として勤めを果たせた････何より慧さんを助ける事が出来たのだから。
「さて、汗を流して後は眠るだけよ･･･明日はどっちみち学院は臨時休校だしね。」
慧さんが私を見ながら茶目っ気たっぷりに話している。
そうなのだ･･･今日の騒ぎで学院は明日一日封鎖されるらしい。これは事件後の定例的な処置なのだと慧さんは言う。
「ははは･･･一仕事後のお風呂は格別でしょうね････ああ、慧さんお先にどうぞ、私は後でも････」
ここは慧さんに先に入ってもらい、私は後からゆっくりと入らせてもらおうと思ってそう言ったのだけど････
「何言っているの、一緒に入るに決まっているじゃない（その方が楽しいし･･･）。」
あっさりと私の希望は却下され、腕を捕まれ逃げられないように拘束される。
･･･あの慧さん、最後にぼそっと言ったその言葉ってどういう意味なんでしょうか？･･･というか一緒に入るのは決定事項なんですか？
「ちょ、慧さん･･･私は･･･後で･･･待ってください････って、わああ、ここで巫女服脱がさないで（泣）」
せめてお風呂くらい一人で心穏やかに（この身体の事は考えないようにして）入浴したいんですけど。
女の子になった翌日から一緒に入らされ、その度に玩具（？）にされる身としては、一緒に入浴するのは勘弁してほしい。
でも、そんなささやかな望みは聞き入れそうもなかった････私は風呂場に連行されながら己の運命に涙するしか無かった。

その日、風呂場で何があったのかは････答えられない、けどこれだけは言える。
慧さんとの入浴は、今日『妖』を封印していた時よりも、過酷な試練を私に科したのだったと。