桜木駅に一人の少女が降り立った。
メガネをかけ髪を三つ編みにした、いわゆる図書室の少女という感じだった。
彼女はホームの案内板を確認すると階段を上り改札口に向かう。
その顔は慣れない一人旅に緊張しているが、一方、抑えきれぬ期待の表情も表れている。
改札口傍の案内所で係員に何事か確認すると、少女は駅を出て歩き始める。

「宮内神社への道順？」
「ああ、といっても観光じゃないみたいだったが。」
少女への対応をした係員が同僚とそんな話をしていた。最寄り駅ということで神社への道順を尋ねられることは多い。
大概は市外から物珍しさに来る観光客かマスコミ関係者だったりするのだが。
少女はどう見てもマスコミとは関係なさそうだったし、緊張のあまりどもりながらも必死に道順を聞く姿から観光とは思えなかった。
「まあ人それぞれだよ、あの子も神社に行かなきゃならない事情でもあったんだろうさ。」
そう言って話を切り上げると係員は別の案内に対応し始め、同僚も自分の仕事に戻る。それは何時もと変わらない日常の一コマ。
しかし、彼らは知らない。その少女の到来が当事者にとっては、日常を大きく揺るがすことになるのだということを。

そう、『宮内神社』の『封印の巫女』である、『神城綾』にとっては。

その時、当人の神城綾はどうしていたかというと････
翌日に迫った神殿前で行う神楽舞の練習を一人でしていた。
本来ならもう一人の巫女、従姉である慧と一緒にやるのだが、今日市庁舎で行われる『妖』の対策会議に出席しているので居なかった。
まあ慧は幼い頃から巫女としての修行の一貫でやってきているので慌てる必要はないのだが、綾の場合はそうも言ってられない。
なにしろ巫女になったのはつい最近の事なのだ。そんな彼女が大勢の前で舞をしなければならないのだから大変だった。
毎日夜遅くまで練習が続き、この連休も休みなしの状態だった。
この神楽舞、『妖』のこの地での跳梁を抑え、平穏を祈願するという『封印の巫女』にとっては封印と並んで重要な行為だった。
また毎年５月頃行われる神事の際、同時に行われる神楽舞には市内外はもちろん、県や国のお偉いさんも来るのだ。
綾にとってはその辺のプレッシャーもさることながら、女性ながらの優美さを殊更強調する舞を踊るという事に慣れそうもなかった。
とはいえ静かに響く調べに乗って、舞を踊る綾の姿に、演奏する者達や手伝いの巫女達は引き込まれているようだった。
確かに動きにはまだぎごちない所があるが、その神秘的な容姿も相まって、雅な感じを周りに与えている。
もっとも綾にとっては、それはそれで自分の女性化が進んでいるという事の証しになるので、複雑な思いがあるのも確かだった。

綾の神楽舞の練習が佳境を迎える頃、神社の境内に入ってくる一人の少女がいた。そうあのメガネに三つ編みの彼女だった。
体力の無い彼女には駅から２０分といってもきついものがあったのか、すっかり息が上がっている。
それでも顔には疲労以上にある種の興奮が見て取れる。
「････やっと会えるんだ。」
それがただの知り合いに会いに来たのとは違う意味を含んでいるのは間違いようが無かった。
「でも･･･私が急に来たら迷惑かなあ。」
いざ会えるとなって彼女には期待と共に不安も募ってきた。何しろ連絡を入れなかった、いや怖くて出来なかったというのが正しい。
容姿から分かるように、彼女はどちらかといえば内気で、積極的な方ではないのだった。それがこんな真似をしたのには訳があった。

とにかく一歩一歩境内を進む少女。心臓が今にも爆発するのではないかと思う程振動するのが分かる。
やがて社務所前にたどり着くが、そこには人の気配がなかった。静まり返っており誰も居ないようだった。
神札授与所も開いているようだったが、何時もなら居るだろう巫女の姿が無い。
実はこの時、巫女達のほとんどは綾の神楽舞の練習を見に行っていたのだった。
本来は許される話ではないのだが、慧は前述のとおり市庁舎に行っており、宮司である伯父も別の会合出席で不在だった為誰も止める者が居なかったのだ。
途方にくれてしまった少女は、ふと、どこからか聞こえる調べに気付く。彼女はそれに引き寄せられるように社務所に入って行く。
何故だか分からないが妙に予感めいたものを感じながら調べの聞こえてくる方へ向かう少女。
誰も居ない社務所の中を、聞こえてくる調べを頼りにそちらへ向かいながら、とんでもない事をしているような気に今更襲われる。
とはいえ、その調べに心引かれるのも事実で、少女はどうしてもその理由を確かめたかった。
そのうち角を曲がると調べがはっきり聞こえるようになる。それと共に視界が開け少女は何が行われているのかを確認出来た。
一段高い舞台らしい所で、朱の袴に白い上着、頭には冠のような物を付け、手に鈴らしき物を持った女性が舞っている。
少女はその女性が巫女であり、彼女が聞いた調べはその巫女が踊る為のものだった事に気付く。
それにしても何て優雅で神々しい舞なのだろうか、少女は我を忘れその姿に見とれる。
舞台に流れる調べと、彼女が振るたびに響く鈴の音がその舞を更に引き立てている。それはまるで魂をも振るわせる光景。
あまりにも非現実的な空間に少女は他の物が視界に入らない。いや少女だけでなくそこに居る者全てがそうだった。
やがて調べが止まり巫女は舞を終える。舞台には最後に巫女が鳴らした鈴の音が静かに響いている。
暫く誰も動こうとしなかった。舞を終えた巫女も目を瞑ったままその姿で静かに佇んでいる。
響いていた鈴の音が完全に消え、静寂がもどってくると、巫女は目を開け舞台を降りてくる。
それでようやく全てが動き出した。舞を見ていた他の巫女達や演奏していた人達が駆け寄り、声を掛けている。
少女はその時になって初めてその巫女が自分と同年代の少女だと気付いて驚いた。
それとともにその巫女が誰かに似ていることに気付く。少女にとってとても懐かしい誰かに････
そこで少女は思い出す、ここを訪れる理由となった相手の事を、心に秘めたある男の子の事を。
あの巫女はその男の子に似ているのだ。だが相手は自分と同じ女性だ、いくらなんでも男性には見えない。
何しろ美しい黒髪を青い紐で結い上げ、今気付いたのだが、神秘的な緑色の瞳をしている。
細く繊細な白い指、細く引き締まった腰つき、汗ばんだうなじは同性でもどきりとさせる色気がある。
それなのにその巫女の顔つきは、少女が覚えているあの男の子とそっくりなのだ。
確かに彼は容姿が女の子っぽかったところがあった。少女の友人などは、男装しているのじゃないかと言っていたくらいだ。
ふと少女は何時だったか図書室で読んだある小説を思い出す。

引っ越した幼馴染の男の子を訪ねた少女が、彼が実は女の子だったという衝撃の事実を知ってしまう････という話を。

少しの間混乱した少女は、ある事に気付き安堵する。それはその巫女の黒髪だった。
あの男の子と別れたのはつい最近、２ヶ月程前だった。その時彼は髪はかなり短めにしていた（それでも女の子っぽかったが）。
今目の前にいる巫女の髪は、下ろせば腰に達するくらいある、そしてカツラを被っているようにも見えない。
２ヶ月であんな長さにはならないはずだ。
だとすると彼の姉妹だろうか？でも姉妹がいるなんて話は聞いた事がない。まあそれ程詳しく家族構成を聞いた訳ではなかったが。
そんなことを考えていた少女は、次の瞬間こちらに顔を向けたその巫女と視線が合ってしまう。暫し見詰め合う二人。
少女がその神秘的な緑の瞳に魅入られていると、その巫女の目が大きく見開かれ、口をぱくぱくさせ始める。
そんな巫女を見た周りの人達が一斉に少女を見て驚いた顔をする。
考えてみれば当たり前だ、部外者がいつの間にかこんな所に入り込んでいたのだから。
だが、その原因は自分達にあるのも確かだった。神社内にいる全員がここに来てしまっていたのだから････とはいえそのままにしておくわけにいかない。

「えーと、どちら様でしょうか？」
巫女の一人がそう言って聞いてくる。その声に少女は自分が勝手にここまで入り込んでいた事に改めて気付き慌ててしまう。
「す、すいません勝手に入ってしまって････何か聞こえたものですから、あ、あの忍び込むつもりは･････」
困惑して顔を見合わせる神社側の人間達の前でパニックになる少女･･･だから気付かなかった。

あの巫女が呆然となりながらこうつぶやくのを･････
「な、何で宮村がここにいるんだ？」