神楽舞の練習を終え、ほっとした私がふと顔を上げた時、誰かがこちらを見ている事に気付いた。
それはメガネを掛け、髪を三つ編みにした少女だった。格好からして参拝客の人が迷い込んできたのかと考えたのだが。
次の瞬間、私はその少女が誰であるかを思い出し驚愕した。そして思わずこう言ってしまったのだ。

「な、何で宮村がここにいるんだ？」

彼女の名は、宮村美智子。私の中学時代･･つまりまだ男だった頃のクラスメイトだった。
宮村さんは私こと薫が中学入学した時から、クラスが同じで、更に席も常に隣で、３年間過ごしたという仲だった。
どちらかと言えば内気で、男と会話するのが苦手な女の子だったが、割と私と・・いや僕か･･とは話が合った。
外見から分かるとおり、と言ったら失礼かもしれないけど、彼女は本を読むのが何より好きという女の子だった。
当時は僕も本を読むのは好きだった関係でよく図書室に入り浸っていたので、彼女とはよく顔を会わせていた。
そういった環境のせいか、女子の中では彼女とは特に仲が良かったのだ。まあ男として意識されていなかったというのもあったのかもしれない。
まあその理由はずばり僕の容姿だろう。どうも周りからは男としてあまり認識されていなかったみたいなのだ。
そのせいか僕が女の子と仲良くしていても、からかわれたり、冷やかされたり、という事がほとんど無かった。
もっとも僕にしてみれば嬉しくもない話だ。こっちは異性相手にドキドキさせられていたというのに･････
･･･話が横道に逸れた。とにかく宮村さんとは卒業後はまったく連絡を取っていなかったので、ここに来た事には驚かされた。
ちなみに卒業時に自分の進学先と下宿先は一応クラスメイト達には教えてはいた、というか教えるようにせがまれたのだ。････聞いてきたクラスメイトの大半が女の子だったのは複雑な気分だったけど。
とはいえ今の僕、いや私は女の子になっているのだ。これはいくら何でもまずい展開だった。
この変身（？）の事は絶対秘密にしなければならない、いや自分自身としてはこんなこと知り合いには知られたくはない。

取り合えず彼女を何とかせねばならないだろう。そう思って私は混乱してあたふたしている宮村さんに声を掛ける。
「落ち着いて下さい････どうなさったんですか？」
「は、はい、あの････こちらに神城薫さんが居ると聞いてきたのですが。」
「････兄にですか･･･それはよくいらっしゃいました。」
「へっ？兄･･ですか？」
驚く宮村さん。そんな彼女に微笑むと、私は周りにいる巫女さん達に言う。
「彼女は私が応対しますから、皆さんはお勤めに戻って下さい。」
「よろしいのですか？」
私が応対すると聞いて困惑する周りの巫女さん達に肯きながら答える。
「はい。お聞きのように私の兄にお会いに来られた方ですので、私が応対するのが筋でしょう。」
そう言うと巫女さん達は、「分かりました」とうやうやしく頭を垂れて答える。
「それじゃまいりましょうか。」
呆然とする宮村さんを促して舞殿のある部屋を出る。取り合えず家に連れて行った方が良いと判断して彼女を案内する。
途中宮村さんが何か言いたげな顔をしていたけど、家に着くまで気付かないふりをする。
無言のまま家に着くと、まだ誰も帰ってきていなかった。これはある意味好都合かもしれない。
宮村さんには悪いけど、早めに帰ってもらった方が良いだろう。その方が慧さんや伯父さんに心配を掛けずに済む。
家にあがると、取り合えず宮村さんを居間に通して、私はキッチンに行ってお茶の準備を始める。
････それにしてもどうして宮村さんがここに来たんだろう？そりゃ『遊びに来て』とは言ったかもしれないけど････
第一、在学中ならいざ知らず、もう卒業しているのに、こうやってわざわざ訪ねてくる理由が私には分からなかった。
お茶の準備をしながら、居間の宮村さんの様子をそれとなく見てみる。彼女は緊張しているのか、そわそわと周りを見て落ち着かないようだ。
「お待たせしました。」
私はそう言って宮村さんの前にお茶を出すと、彼女の前に正座して座る。それを見て彼女も慌てて正座しようとする。
「そのままで構いませんよ、楽になさって下さい。」
生真面目な彼女らしい姿に思わず笑いがこぼれる。そういえば中学時代もそうだったなと思い出す。
「はい･･･ありがとうございます。」
と言いつつ正座する宮村さん。まあ本人がそうしたいなら構わないんだけど････そんな彼女を見ながら（偽の）自己紹介をする。
「それでは改めて･･･お初にお目にかかります、神城薫の妹で、神城綾と申します。」
「わ、私は神城君と同じ中学に通っていました宮村美智子です、こちらこそ初めまして。」
緊張する宮村さん。私はそんな彼女に落ち着くようにとお茶を勧める。
宮村さんはおずおずと茶碗を口に持ってゆく。それに合わせ私もお茶に口を付ける。
「････あの、先ほど神城綾さんは･･･神城君の妹さんと言ってましたけど。」
お茶を一口飲んで落ち着いたのか宮村さんが聞いてくる。いよいよ来たか････
「はい、その通りです･･･それから私の事は綾と呼んでください、兄と同じ神城では混乱してしまいますから。」
「あ、はい綾さん。･･･それにしても妹さんが居たなんて知りませんでした。」
そりゃそうだろうな････何しろ最近まで神城薫に妹なんて実在すらしなかったんだから。
これは関係者全員で考えた設定だった。私こと神城綾は神城薫の双子の妹という事にされているのだ。
まあ身体が女の子になってしまったので、『神城薫から神城綾に名前を変えました』なんて馬鹿正直に言えないからだけど。
よって急遽神城薫の妹として神城綾の設定が作られたのだ。
「それは仕方がありません。私は巫女になる為に幼い頃から実家を出て隣町の神社にいましたから知らない方は多いです。」
それで今度『宮内神社』で修行する事になり、綾はこちらへ移って来た･･･という事にしている。
「それで････あの、神城君は？話ではここに下宿していると聞いたんですけど。」
「兄は星林高校の寮に入りました。ここに来てから空きが出来たというので････」
こちらへ進学した薫は、最初この神社で暮す予定だったが、寮が空いた為急遽入寮した････という事になっている。
「そうですか････」
落胆した表情の宮村さんを見て、私は罪悪感に囚われる。とはいえ本当の事を話す訳にもいかないし････
「あの･･･連絡は取れるんでしょうか？」
「････それが今兄さんは学園の行事で忙しいみたいなので、私でも連絡取れなくて。」
もちろんこれも嘘だ。第一、星林高校に神城薫なんて入学者はいない。西園寺女子学院への入学に変わった時点で、辞退しているからだ。
よって今宮村さんに問い合わせられるのは非常にまずいのだ。だから心痛むが彼女には諦めてもらうしかない。
居間に沈黙が落ちる。宮村さんは傍から見ても可哀相なくらい落胆している。おかげでますます罪悪感が募る。
「連絡が取れるようになったら、宮村さんの事は伝えておきますから、気を落とさない下さい。」
出来るわけないのだが一応そう言っておく。でないと宮村さん今にも泣き出しそうだったからだ。
「ところで宮村さんは、兄に何の御用がおありなのでしょうか。」
そういえば大事な事を聞いていなかった、宮村さんがここに私（僕）を訪ねてきた理由を。
「え････そ、それは････」
真っ赤になって俯いてしまう宮村さん。いったいなんだっていうんだろう？
先ほどとは違った沈黙が落ちる居間で、真っ赤になった宮村さんと、どうリアクションすればいいかわからず固まる私。

「ただいまもどりました。」
その時玄関から慧さんの声が聞こえてきた。どうやら役所で行われていた会議を終えて帰ってきたみたいだ。
私は立ち上がり、宮村さんに少し待ってくれるように頼むと玄関に向かう。この事は慧さんにも話しておいた方がいいと思ったからだ。
「お帰りなさい慧さん。お疲れ様です。」
「ええ、ただいま。ほんと疲れたわ。」
私の労いの言葉に慧さんは苦笑いしながら答える。彼女としてはあんな会議が役に立つのか前から疑問に思っているらしい。
「市民向けのパフォーマンスよ･･･あるいは選挙向け。」
出かける前、慧さんはそんな辛辣なことを言っていた。あながち間違いじゃないのは私にも分かる。
「ところで･･･誰かお客様でも来ているの？」
玄関に見慣れない靴が在るのを見て慧さんが聞いてくる。私は居間の方を伺いながら小声で事情を話し始める。
「････それは････厄介な事になったわね。」
慧さんは難しそうな顔をして唸る。まあ何時かこういう事が起きるだろうとは想定はしていたのだけど。
「一応打ち合わせ通り、話しておきましたけど････やっぱり騙しているようで心苦しいですね。」
私は苦笑いをしながら言う。やむをえない事情が有るとはいえ、知り合いに嘘を付くのはやはりいい気持ちはしない。
「気持ちはわかるわ、でも秘密を知る者は少なくしないとね。」
秘密を知る人間が増えるほど、その秘密が漏れる確率が増える。それが私達の出した結論だった。だから彼女には悪いけど････
「落胆していたみたいですけど、何とか納得してくれそうです････後は帰ってもらえば････」
「実はそうもいかないみたいなの････」
私の言葉を遮って慧さんが言う。････何か問題でもあるのだろうか？何故か考え込み始めた彼女を見つめる。
「取り合えず彼女と話をしないとね････いいかしら綾ちゃん？」
「はい、それは構いませんけど。」
私はそう言って慧さんと居間に向かう。宮村さんは急に一人にされたせいで少し落ち着かない様子だった。
「ごめんなさいお待たせして････紹介しますね、彼女は私の従姉で『神北慧』と言います。
慧さん、こちらが『宮村美智子』さん、兄の中学時代のご友人だそうです。」
「『神北慧』です、初めまして宮村さん。」
「『宮村美智子』です、こちらこそ初めまして神北さん。」
宮村さんは立ち上がると、丁寧にお辞儀する慧さんに合わせてお辞儀する。････相変わらず律儀な子だなと苦笑する。
挨拶が終わると、慧さんと宮村さんは座り、私はお茶を入れる為にキッチンに向かう。
「それにしても薫君に会うためにいらしたのに、彼が居なくて申し訳ありませんでしたね。」
慧さんが宮村さんにそう話し掛ける。私はお茶を持ってくると慧さんの前に置き、宮村さんのも入れ直して座る。
「いえ･･･連絡もせず急に押しかけた私が悪いんですからお気になさらずに。」
宮村さんは前に出した両手を横に振りながら答える。
「そう言っていただけると助かります･･･ところで宮村さんはここには桜木線で来られたのですよね。」
妙な質問に宮村さんと私が戸惑う。
「そうですけど･･･」
「････実は私はさっきまで役所の方にいて聞いたのですが、桜木線で大規模なトラブルが発生して全線運休しているんです。」
「「え！！」」
慧さんの言葉に私と宮村さんが驚きの声を上げる。桜木線が止まったということは、宮村さんが帰れないという事になる。
「宮村さんは桜木に宿泊されるおつもりではなかったのでしょう？」
「は･･･い。今日中に帰るつもりでした。」
困惑した顔で宮村さんが答える。
「かなり長引きそうなんですか？」
私は慧さんに聞く。宿泊なんて聞く位だから、間単に復旧出来ないのかと思ったからだ。
「聞いた話では････復旧は明日の朝以降になるそうよ。役所でも大騒ぎになってたわ。」

宮村さんに早めに帰ってもらおうとした私の思惑は、残念ながら叶いそうもなかった。