西園寺女子学院･･･桜木市郊外にあるこの学院の朝は、他の学校とは大分違いがある。
まず生徒の半数近くは自分の家から車で登校してくる。校門の隣に専用のエントランスが有るのはここだけだろう。
登校時間になると高級車が順番待ちをしている光景は、この辺では珍しいものでは無い。
一方、残りの生徒は専用バスで駅から登校してくる。しかしこのバスがまた凄いのだ。はっきり言って登下校用とは思えない。
冷暖房完備は当たり前。座席も本皮で、車内はゆったりとした作りだ。俗に言うリムジンバスも真っ青だ。
さすがは県内外のセレブのお嬢様が通う学校といえるだろう。
ちなみに二人の巫女と新たに同居人となった美智子の三人は、この専用バスによる通学だ。そして彼女達が登校してくる時間になると･･･
送迎用の高級車が止まるエントランスから校門を挟んだ反対側にある専用バスの発着場はにわかに騒がしくなる。
到着しても学院に向かわずその場で待つ者や、送迎用のエントランスの方からわざわざ来る者。そこへ到着するバス。
その場にいた者達は、佇まいを正し、バスが停車するのを静かに待つ。やがて停車したバスの扉が開き生徒が降りてくる。
最初に降りてきた生徒達は、その場に居た者達の列に加わり、最後に降りてくる生徒を待つ。
まず降りてきた生徒に待っていた者達が挨拶する。
「ごきげんよう姫様。」
西園寺女子学院の姫様こと、『神北慧』。『封印の巫女』である彼女は長い黒髪をした清楚な大和撫子だ。
「ごきげんよう皆様。」
続いてもう一人降りてくると、集まった生徒達はその者にも挨拶をする。
「ごきげんよう妹姫様。」
西園寺の姫様の妹であり、同じく『封印の巫女』である『神城綾』。美しい黒髪と碧の瞳を持つ、神秘的で神々しい少女。
「ご、ごきげんよう皆様。」
優雅に返答する慧と慣れないのか幾分緊張気味に返事をする綾。似たような容姿を持つのは、二人が従姉妹同士だからだ。
学院の朝はこうして二人の姫様を迎えるのが生徒達の習慣みたいな事になっているのだった。
「何時見てもこれは凄いわ。」
先に降りた二人の周りを囲む生徒達を見て『宮村美智子』は感嘆していた。転入する前に聞いていたがこれほどだったとは。
「ごきげんよう美智子さん。」
半ば憮然としていた彼女に挨拶してきたのは、転入先のクラスで友人になった『遠藤麻耶』だった。
美智子とは正反対の活発でスポーツ好きのお嬢様だった。彼女とは綾を通し知り合い、何故か気があったのか親しくなった。
「ごきげんよう麻耶さん。」
挨拶を返した美智子の傍に立ち、彼女と同じようにその光景を見る麻耶。
「毎朝こうなんですから驚きますね。」
にこやかな笑みを浮べながら麻耶は、美智子に話しかけてくる。
「･･･綾さんも大変ね。」
同情しつつも、他の女の子に囲まれにこやかに（実は引きつっているだけ）相手しているのを見るのは美智子には辛かった。
確かに綾は同性さえ見とれてしまう美少女で、この地では知らぬ者の居ない『封印の巫女』である事は知っていても････
「皆様それではまいりましょう･･･ほら綾さんも。」
慧の声に生徒達は動き出す。そして綾は促されて麻耶と美智子の方へ向かってくる。
「ごきげんよう麻耶さん。」
「ごきげんよう妹姫様。」
茶目っ気のある麻耶の挨拶に、綾は脱力した表情を浮べる。
「･･･それは止めてってお願いした筈です麻耶さん。」
「分かっておりますわ綾さん。では教室へまいりましょう。」
３人は並んで門を潜り、下駄箱に向かう。慧はクラスメイトの人達と連れ立って先に行ったようだった。
「ところでもう学院には慣れましたか美智子さん？」
隣を歩く美智子にそう聞いてくる麻耶。ちなみに並び順だが、真ん中が麻耶、左に美智子、右に綾である。
「はいおかげさまで･･･麻耶さんと綾さんのお陰です。」
「それは良かったですわ。くす･･･それにしても美智子さんの最初のご挨拶は今思い出しても愉快でしたわ。」
「･･･それは･･･あまり言わないで下さい。」
麻耶の言葉に美智子はそう言って顔を赤くし俯く。それもそのはず、転入当日に彼女は自己紹介でこう言ったのだ。
「綾さんを追ってきました。」
・・・と。お陰で美智子どころか綾まで質問攻めに会う羽目になった。
緊張し思わずそんな言葉を言ってしまった美智子は、後で恥ずかしさと自己嫌悪に落ち込んだ。
まあそのお陰でクラスに早くも溶け込め、麻耶を始めとする数人の友人も出来たのだが。
「･･･それはそうと綾さん、先程から背を縮こませてどうなされたのですか？」
バスから降りた時から、綾は何故か身を縮こませるように歩いているのに麻耶は気付いたのだ。
「いえ･･その･･･」
「綾さんは学院の夏服が恥ずかしいらしくて。」
答えに窮してしまった綾に代わり美智子が答える。
「恥ずかしい･･ですか？」
麻耶は驚いた顔をして綾の制服姿を見たが、別に変わったところは見当たらないので首を捻る。
この女子学院の制服は、何の捻りもないセーラー服だ、スカート丈も足首あたりまであり、世間の女子高生の制服に比べれば大人しい。
それに入学時は彼女は多少ぎごちなかったが、その時も別に恥ずかしがっているように麻耶には見えなかったのだ。
「別におかしいところは見受けられないのですが、何がお恥ずかしいのでしょうか？」
聞いてくる麻耶に、綾は困ったような表情を浮かべる。実はどう言ったら良いかわからないのだ。
綾が今になって制服を恥ずかしがっている理由、それは夏服になり、生地が薄くなったことなのだ。
ここまで言えば分かるだろう、白いセーラー服で生地が薄くなれば、必然的に（？）見えてしまうのだ、下着のラインが･･･
最初は綾も、ただ生地が薄くなり涼しくなったくらいにしか思わなかった。だから暫くは気にもせず着続けていた。
それが今日の朝、神社を出て駅に向かう途中に綾は、前を歩く慧の背中と後ろにいた美智子の胸元を見て気付いてしまったのだ。
背中と胸元にうっすらと浮かんで見えるブラのラインを････そして二人と同じ制服を身に着けている以上、自分もそうなのだと。
一度気付いてしまえばどんどん意識してしまうものだ。お陰で綾は鞄を胸元に抱き、縮こまって歩く羽目になったのだ。
それでなくても女性の下着を身に着ける事に未だ慣れない綾にとっては、例えうっすらとはいえ見られるのは非常に恥ずかしかったのだ。
「別にはっきり見えるわけではないのに･･･気にしすぎですよ。」
美智子はそう言うが、綾は数ヶ月前までは”男の子”だったのだから、”気にするな”と言うのは無理な話だった。
「そうは言うけど私は･･･」
「そんなのでは女の子なんかやっていけませんよ。」
綾が『以前は男だったから･･･』と言おうとした反論を、笑顔で封じて美智子は言った。彼女にとってこれも大事な女の子教育だと思っている。
「綾さんらしいですわね･･･好ましいと思いますわ美智子さん。」
楽しそうに言う麻耶、彼女も純情な反応を示す綾を見るのは嬉しいらしい。そう言われ美智子もにこっと笑って肯く。
「はあ･･･」
深いため息を付く綾。女の子達のこういうところをまだ完全には理解できないものだと思い知らされる。
そんな綾達に声が掛けられる。
「そんなに苛めないであげて美智子さん、麻耶さん。」
先に行っていたと思っていた慧だった。どうやらクラスメイト達と別れてわざわざ戻ってきたようだった。
「すいません姫様、でも苛めているわけではありませんわ。」
物怖じせず麻耶が答える、その辺は大した度胸かも知れない。学院における姫様の影響力は大きいのだから。
もっとも度胸と言う点では、もう一人の方があるだろう、こっちは物怖じないどころか････
「友人同士の戯れです慧さん、同じ年同士の。」
逆に挑むように答えるのだから。特に年齢を突いてくるのは大したものである、慧がもっとも気にしていることなのだから。
「･･･確かにそうみたいね。でも綾さんは、私と同じ巫女なの。そのモチベーションには気を使うの。」
とこちらも『封印の巫女』同士を強調し、美智子を牽制する。
「そうですね･･･でもだからこそ綾さんに普段は普通の生活をして貰わないと、私はそう接したいのです。」
「それは感謝するわ美智子さん。」
二人の間に火花が飛び散っているような気がして綾は頭を抱えたくなる、どうしてこうも二人は仲が悪いのかと悩んでしまうのだが。
「（今回は美智子さんが辛うじて勝利ですか、それにしても綾さんは相変わらず勘がお悪いようで、お二方も大変ですわね。）」
そんな３人の光景を見ながら感想を漏らす麻耶、こういう状況でも綾と違って冷静に論評しているというか楽しんでいる。
お嬢様とはいえ、恋愛沙汰はやはり興味があるのだろう、この点は麻耶も女性というところか？
しかし傍から見ると女性同士は問題にならないのかと気になるのだが、この女学院ではそれ程珍しい話ではない。
言っておくが、この女学院で同性愛（！）が奨励されているわけでは決して無い。ただそうなる特殊な状況が存在しているのだ。
それはずばり、この学院のお嬢様は家の為に自分の意思に関係無く嫁がなければならない者が多いという事情だ。
在学中に婚約者が決まる者の割合は半数に及ぶ。一般の人には理解できないが、上流階級の家にはまだこういう事は残っているのだ。
それでなくとも校則で男女交際厳禁、教職員を含め全員女性という環境は、ある意味抑圧された世界と言えるだろう。
その為か、在学中に同性と恋愛の真似事を演じてみたいと思う者も多いらしい。そんな者達に人気のある人物こそが････
「ごきげんよう姫様、皆様。そして･･･」
「っきゃあ！・・・って、わ、若様？」
「愛しの妹姫様。」
おろおろとしていた綾を突然後ろから抱きしめながら挨拶してきた”若様”こと神前寺静香だった。
学院では”姫様”こと慧と共に人気を二分する女子生徒だ。
何しろ普通の殿方も真っ青の整った鼻筋に見栄えのする長身、誰にも分け隔てる事なく優しく接する性格。
どちらかと言えばストイックな姫様に比べ開放的（慧に言わせれば節操の無い）若様の、今一番のお気に入りなのが綾だったのだ。
「「若様！！」」
「ごきげんよう若様。」
綾を自分の胸に抱きこむ若様を険のこもった目で見る慧と美智子、微笑みながら挨拶を返す麻耶。周りの生徒達の注目も集まる。
「何時もながら可愛いですわ妹姫様。今日のお昼はぜひご一緒に昼食でも如何ですか？」
魅力的な笑顔を浮かべ、至近距離から愛の囁き（？）をする若様。
「何度もおっしゃっている通り、綾さんには近づかない様に言った筈ですが若様？」
『妖』に相対する時の様な鋭い目付きで若様を睨む慧、隣で美智子も言葉を挟まないが睨み付けている。
もっとも若様の方はそんなもの何処吹く風である。綾を抱きしめるのに忙しいらしい。
「あ、あのう若様、出来れば離して下さい･･･というかどこ触られているんですか？」
微妙な所をタッチされ綾は身をよじるが、若様のテクニック（？）により動きを封じられ、身の危険をひしひしと感じてしまう。
しかし危険は後ろの若様だけでなく、目の前の従姉と友人からも感じるのだ、まさに四面楚歌の綾。
「まあ、綾さんはとても人気がお有りなのですね。」
何の邪心もない麻耶の言葉が、今の綾には恨めしく聞こえるのだった。そして心底こう思った。
「（これなら『妖』を封印している時の方が、よっぽど気楽かもしれない。）」

校庭の一角で繰り広げられる騒動。だがそれを冷ややかに見ている目がある事を、綾は知らない。
そしてその冷ややかな視線の中に、激しい憎悪が込められている事にも。