綾達の騒ぎを冷ややかに見ている目。それは慧と同じ３年生の女子生徒のグループだった。
廊下の窓際に立ち、眼下で繰り広げられる騒ぎを先程からずっと見ていたのだ。
その中で一際目を引く少女が、高橋里香。綾と慧が初めて一緒に登校した時に出会った生徒だ。
清楚な黒髪の、けっして綾と慧には劣らない美しさを持つ少女だが、今はその顔に浮かぶ表情が全てをぶち壊している。
全身からも黒いオーラが滲み出てくるような雰囲気に、廊下を通る他の生徒達は、彼女を見ようとせず足早に通り過ぎて行く。
何故それまで里香が慧を敵視するのか？それには複雑な事情が絡んでいるのだ。
里香は慧とは違い、古くからのここの住人ではなかった。父親の転勤により家族と共にこの街に引っ越してきた人間だった。
そして里香の父親の仕事が、慧との関係をより複雑にしている問題の一つだった。何しろ市内の建設工事を請け負う会社なのだから。
しかも最近『妖』絡みで事件を起こしているとなれば、『封印の巫女』と良好な関係は望めないだろう。
地元経済界に多大な影響力を持ち、中央政府との太いパイプで市役所にも顔の聞くその会社も、事が『妖』になると話が別だ。
まあ『妖』に対しては人間側の権力も経済力も何の役に立たないのだからしょうがない。連中に人間側の思惑など通じないのだ。
そして会社側に手出しの出来ない存在はまだある。それが『宮内神社』なのだ。
桜木市を含む一帯を、『妖』の脅威から守護してきた『宮内神社』は、地元では絶対的な存在だ。
例えば、ある土地に建設計画が持ち上がると、必ず神社にその土地に工事して良いか確認しなければならない。
というのもその土地に『妖』を封じ込めた場所があるかもしれないからだ、そして疑いがあれば探し出されるまで工事は凍結される。
また運良く建設が許可されても、工事途中で少しでも『妖』の存在を匂わせる物が見つかれば、やはり工事は中断される。
会社にとってはたまったものではないが、『妖』に関しては市長はもちろん県知事さえ神社側の意向には口を挟まない。
それだけ『妖』には敏感な土地なのだが、街の外から来た者にはそれが理解出来ない、それが様々な軋轢を生む結果になっている。
時にはそれが感情的な対立に発展する事もある。里香と慧のような例は、この街では珍しい話ではないのだ。
「まったく・・・あんな女のどこが、私に勝るというのかしら？」
あと一つ、この二人を対立させている原因が、彼女のプライドの高さだった。幼い頃から常にトップに居なければ彼女は満足しなかった。
確かにこの学院に来るまでは里香は、高い注目度の持ち主であった。だからここに来ても当然そうだと思っていた。
何しろ入学試験ではトップの成績で合格、新入生代表にも選ばれ、多くの生徒の前で挨拶を行ったのだから････
だがこの学院では残念ながら違ったのだ。それは一緒に入学してきた慧の存在のせいだった（少なくとも里香はそう思った）。
確かに美しい少女である事は里香も認めざるをえなかったが、自己紹介で神社の娘と聞き、内心は勝ったと思ったものだ。
たかが歴史の古い神社に比べ、自分の家は日本でも指折りの大会社。皆がどちらを注目するかは分かりきっていると思ったのだが。
クラスメイトの大半の反応はまったく違ったのだ。慧の自己紹介を聞いたとたん多くの注目は彼女に注がれたのだ。
里香はその時初めて慧が『封印の巫女』であり、巫女はこの地域では、信頼と畏怖の対象である事を知ったのだった。
だからクラスメイトはおろか学院生徒の目は、この巫女の少女に注がれる事となり、里香のプライドはずたぼろだった。
それ以来里香は対抗意識から、慧に色々と挑戦的な態度を取るのだが、ことごとく相手にされない状態が続いていたのだ。
「まあいいですわ慧さん。今度の学院懇談会で、貴方が執着されているその娘がどうなるか楽しみですわね。」
底冷えのする笑みを浮かべて呟くと窓から離れ、里香は取り巻きの生徒達を連れ教室へ戻って行く。
彼女が何を企んでいるのかは分からない、がその標的が綾である事だけは確かのようであった。

「学院懇談会ですか？」
綾の争奪戦（？）は結局時間切れでドローになり、５人は連れ立って歩いていた。その途中に話題に上った話がこれだった。
「学院はそう言っているけど、まあ生徒達の盛大な息抜きといったところかしら。」
若様は楽しそうに美智子の質問に答える。ちなみに若様は姫様と並んで歩き、一年生の三人はその後ろを付いて行く。
「･･･そんな行事があるんですか･･･ちなみに何をするんですか？」
綾は興味深そうに聞いてくる。その姿に目尻が下がる若様。お目当て（？）の妹姫様が興味を持ってくれたのが余程嬉しいようだ。
「まあパーティみたいなものだけどね。皆着飾って来て、料理を食べて。お酒が出ないのが唯一残念だけど。」
「若様、私達は未成年ですわよ。そんな事を許される筈がありませんでしょ。」
姫様が調子に乗っている若様を窘める。それでなくても周りには他の生徒達もいるのだ。
「着飾るというと正装しなければならないのですか？」
若様の言葉に一瞬絶句している綾の代わりに麻耶が質問してくる。
「本来は学院の行事だから制服で･･･と言いたいけど、基本的には服装は自由。お陰で皆この時とばかりに豪華な服を着てくるわ。」
姫様がため息混じりに言う。それを聞いた美智子と綾がそれぞれ別の意味で青くなっていく。
「私そんな場所に着てゆく服なんか持ってませんけど。」
美智子は困ったように言う。彼女の場合、完全に庶民の出だからだ。この学院に入れたのは『宮内神社』の力があったればこそだ。
そんな美智子に麻耶が助けを入れる言葉を掛ける。
「それでしたら、わたくしの服をお貸ししますわ。幸いな事に美智子さんとはサイズが同じですし。」
美智子と麻耶は背丈も同じくらいで、スタイルもそれ程違わないようなので服の貸し借りには問題は少ないのだろう。
「ありがとうございます麻耶さん。」
これで美智子の方は問題が解決したが、もう一方の綾の方は････
「あの・・・もしかして私も着なくちゃいけないんですか？」
他の女子生徒が着飾るという事は自分もそうなるわけで、綾としては避けたい所だ。
これ以上女性らしい格好などしたら、ますます戻れなくなるのではないかと心配しているのだ。
綾は往生際が悪い事に、男に戻るのをまだ諦めていない。
もう手遅れだと思っていないのは実は綾だけで、彼女以外の面々は既にそういう認識なのは本人には秘密である。
「綾ちゃんは心配する必要はありませんわ。第一私たち巫女の正装といったら決まっているでしょう。」
綾の心配を必要ないと切り捨てる慧（笑）。だがその後の言葉が綾にとっては問題だった。
「え･･･？それってもしかして･･･私達は巫女服で出席ですか？」
「そうなりますね。それから当日は神楽を舞うことにもなってますから、準備を忘れずにお願いしますね。」
「神楽を舞うんですか？」
巫女服を着て出席のうえ、神楽舞まですると聞いて綾は大いに驚かされる。
「楽しみですわね当日が。去年の姫様の舞は素晴らしかったですから。」
若様がにこやかに笑うと、何時の間にか（笑）綾の横に立ち、顔を至近距離に近づけてくる。
「今年は妹姫様も加わるのですから、楽しみが倍増しますね。･･･でも出来れば私の為だけに･･･」
「わ・か・さ・ま。」
地獄の底から響いてくる声というのはこういうものかと、慧の声を聞いた時、綾や麻耶は思った。
「な・に・を・なさっているのですか？」
「ひやぁ！」
更に同じような声が美智子からしたので、綾は恐怖のあまりとうとう隣にいた麻耶に抱きついてしまう。
「まあ綾さんたら･･･（ぽっ）」
「綾さん！」
「綾ちゃん！」
「あら、どうしてこちらに来てくださらないのですか綾ちゃん。」
何故か赤面する麻耶、綾に怒りの矛先を向けてくる慧と美智子、残念がる静香（若様）。
瞬く間に修羅場と化す昇降口前。
先程騒ぎになったのにまったく懲りない人達である。これらが収束するのにまた暫しの時間が掛かった。
「・・・何だか朝から疲れがどっと出ました・・・」
何とか場の騒ぎを収め、綾は美智子と麻耶と自分の教室へ辿りつていた。そして席に座ったとたんに突っ伏す。
「･･･ごめんなさい綾さん。」
そんな綾を見て美智子はすまなそうな顔をする。彼女も何かと慧と張り合ってしまう事を自覚しているのだった。
「いや･･･まあ責めているわけじゃないんだけど。」
中学時代の美智子はあんな風に人と張り合うような女の子では無かったと綾は記憶していたのだが。
まあこれも”恋する乙女”の為せる業か。でも鈍感な綾は残念ながらそこに気付けない、ある意味罪な女（笑）である。
「そうですわよ美智子さん。綾さんはそんな事ではお怒りにはなりませんわ。」
そんな二人を内心微笑ましく思っていた麻耶が取り成してくれる。もっともそういう彼女も騒ぎの一端を担っていたりするのだが。
先程の騒ぎの間、ちゃっかり綾を抱きしめて、甘い一時（？）を過ごしていたのだから、彼女もいい度胸をしている。
今のところ、綾争奪戦に距離を置いているように見える麻耶だが、もっと親しい仲に成りたいと密かに思っていたりする。
いや麻耶以外のクラスメイト達や他クラスの生徒、はては上級生の先輩達まで、可憐な妹姫様とより親密になりたいと思っているのだ。
まあ当人がその状況に気付いていないのは、悲劇を通り越して喜劇の様相を呈しているが。
「まあそういう事だから、そんな顔をしないで美智子さん。」
落ち込む美智子を何とか慰めようとする綾。その姿に麻耶をはじめ他の生徒達は感銘を受け、更に妹姫様を称える事になる。
･･･まあそんな感じで何時も通りの一日が始まった。但しその日の３時間目の体育の授業内容だけは綾にとって何時もとは違った。
「それでは更衣室へまいりましょうか綾さん、美智子さん。」
「はい、綾さん行きましょう。あ、水着は忘れていませんよね。」
「･･････････」
そう、一年生にとってはプールを使った始めての授業が行われる日だったからだ。