祝詞が完成し『妖』がまた一匹、封印され玉になって廊下に転がる。
慧と綾が合流してから数十分が経っていた。二人は既にホテルのロビーまで到達していた。
広いロビーには人は居らず、荷物やバックなどが床に散乱している。慧と綾は辺りを見渡し警戒する。
「もうここには居ないようね。」
慧はそう言いながらも、警戒を怠らない。
「･･･そのようですね。それにしても『妖』は一体何処から侵入したのでしょうか？」
綾も気配を探りつつ、油断無く周りを見ながら答える。
既にここに来るまでに数十体の『妖』を封印している。しかしこれだけの数を相手にするのは久々だ。
「可能性が有るとしたら･･･地下かしら？何か工事をしていたらしいから。」
慧と綾は地下に通じる階段まで来ると、注意深く覗き込む。今のところ『妖』の気配は無いようだった。
二人は肯き合うと、慎重に階段を下りはじめる。下りるにつれて、辺りは暗く、じめじめしてくる。
それと共に慧と綾は、粘りつくような『妖』の気配が巫女服に覆われていない部分にまとわり付いてくるのを感じていた。
地下の廊下に下りたった慧と綾は、更に増してくる気配に、お互いの顔を見合わせる。
「････どうやらここが元凶のようね････」
慧は前方の闇を見ながらつぶやく。あちこち電灯が消えているせいで、先の見通しはあまり良くない。
「そうですね････慧さん来ます！」
一歩前に出て綾は『御神刀』を構える。それを見て慧もまた構える。
ガサガサ････
何かが這うような音と共に、前方の闇から現れるモノ。鋭い牙と頑丈そうな四肢を持つ生き物、それが二人に迫ってくる。
「一匹ではないわね･･･綾ちゃん気を付けてね。」
「はい。」
慎重に間を取りながら慧と綾は左右に別れ、『妖』を取り囲むように動く。その時だった、天井から何かが二人の足元に落ちてくる。
「････！」
それに気付いた綾が振り向きざまに祝詞を唱え『御神刀』を振る。
「蒼き浄化の炎よ、我に従い、邪気なるものを、封印したまえ････！」
足元に落ちた複数の影が、襲い掛かってくるが、綾が発動させた青い炎に包まれ、鋭い絶叫を上げてのた打ち回り、封印される。
続いて慧の祝詞を唱える声が続き、床を這って来た『妖』が同じような末路を辿る。
「最初のが気を引く為のオトリで、本命は上からですか？」
足元に転がる玉を見ながら、綾が驚いた表情で慧に尋ねる。
「そのようね･･･油断ならないわ。」
時に『妖』はこちらが思わない行動を取る事がある。連中はただの獣では無い、このように知能の片鱗を見せる事があるのだ。
「でも流石ね綾ちゃん、あの反応は良かったわよ。」
「いえ慧さんだって･･･助かりました。」
お互いを称え微笑み合う慧と綾。日頃の鍛錬の賜物と言えるだろう、見事なコンビネーションだった。
「ふふ･･･やっぱり私達は最高のペアね綾ちゃん。」
「そうですね･･･はは（汗）。」
何故か頬を染めて自分を見てくる慧に、引き気味に答える綾。何となくその姿に悪寒を覚えてしまう。
まあ最近麻耶と美智子の同級生達に押され気味（？）な慧にしてみれば、こういう時こそ自分の存在を綾に印象付けたいのだろう。
もっとも綾にしてみれば、慧をはじめとする女の子達からのこういったアプローチには困惑気味だった。
自分が男だった時ならこういう状況は嬉しく感じるかもしれないが、女の子達は綾を”同性”と知りながらアプローチしてくるのだ。
内面が男だと思っている（最近それも自分自身怪しくなりつつあるが）綾には、そんな女の子達の心理が理解出来ないのだった。
「と、とにかく進みましょう。」
何とか気を取り直して言う綾。このままでは『妖』よりも妖しい世界（笑）に引きずり込まれそうで非常に怖かったのだ。
････でもそれもちょっといいかな、と一瞬思ってしまったのも事実で、綾はそれに気付いた瞬間に激しい自己嫌悪に陥ってしまった。

やがて廊下の奥まった場所にあるその部屋に二人はたどり着いていた。
「慧さん！？」
内側から破壊された扉の傍に倒れている人影に気付き綾が叫ぶ。その声に慧は素早く駆け寄って来る。
倒れている人影は二つ。ともにピクリとも動かず、綾は最悪の結末を予想してしまったが。
「･･･怪我は酷いけど何とか生きているわ。」
そんな慧の言葉に、綾は胸を撫で下ろす。どうやら最悪の結果だけは回避出来たようだった。
綾も倒れている者達の傍に屈みこむ。確かにかすかな呻き声を上げている、とはいえそのままでは危険な事は確実だった。
「どうしますか？私たちでは二人を運ぶのは無理ですし、かといって誰かを連れてくるわけにもいきませんし。」
鍛えているとはいえ、やはり女性である慧と綾では、大の大人二人を運ぶのは困難だし、人を呼ぶにしても危険がまだ残っており出来ない。
「・・・この人達にはもう少し待ってもらいましょう、今は『妖』への対処が先決だから。」
破壊された扉を見ながら、慧は苦渋の決断を下す。彼女も出来れば彼らを早く病院へ連れて行きたいのだが、現段階では危険すぎた。
「急ぎましょう･･･この先の『封印石』を処理出来れば、助けを呼ぶことができるわ。」
慧と綾は立ち上がり、部屋に入って行く。中はかなり荒れ果てていた、壁も崩れかかり、工事用具が散乱して足の踏み場も無い有様だ。
「････これは････」
「！･･･････」
剥がれ落ちた壁から見えている物を見て、慧と綾は言葉を失う。
何しろそこには『封印石』が、半分破壊された状態であったからだ。しかも一つでは無く。
これで今回の事象は何が原因か、巫女には一目で分かった。いや、この街の人間なら即座に理解出来ただろう。
「これじゃ大量に『妖』が出現してもしょうがないわ･･･何て事をやってくれたのかしら。」
もはや怒りを越えて、悲しくなる慧だった。いくら何でも酷すぎた、もっと早く知らされていたら、これほど被害は出なかった筈だ。
「･･･慧さん・・・」
綾にも慧の気持ちはよく分かった。流石に『封印の巫女』も、人の怠慢や無責任まではどうしようも無い事を思い知らされる。
「･･･兎に角、これ以上『妖』が蘇らないように、『仮祓いの儀』を行ないましょう。」
これは弱まった封印を一時的に強め、これ以上封印が破れないようにするものだ。本格的な『祓い』は神社で行なわれる。
「はい。」
綾は肯くと『御神刀』を鞘に収め、袂からお札を取り出して『封印石』に貼ってゆく。
それが終わると、慧と綾は『封印石』の前に立ち、互いの片手を合わせ、もう一方の手を、札に掲げ祝詞を捧げる。
「「収まれし邪気のもの、再び眠りにつきたまえ。永遠の闇にその身を置き、現世に災いをもたらすことなかれ。」」
暗く荒れ果てた部屋の中を、二人の巫女が唱える祝詞が流れる。それはここだけではなく、地下全体にまで響いていくようであった。
そうするうちに『封印石』に貼られたお札が光りはじめ、部屋の中を薄っすらと照らしてゆく、微かな揺れも感じられる。
慧と綾は祝詞を繰り返し唱える。それに伴い光と振動は強くなってゆく、まるで二人の祈りに応えるように････
似た容姿の美しい巫女服の女性が、透き通るような声音で、祈りを捧げる姿は、あまりにも幻想的な光景だった。
もし第三者がそれを見れば、言葉を発する事も、動く事も出来なくなるだろう。それだけの力がその光景には有るのだ。
バチッ！
何かが弾ける音がして、光と振動が収まる。慧と綾は祝詞を唱えるのを止め、『御神刀』を鞘に収めたまま掲げ、深く頭を垂れる。

こうしてロイヤルホテルでの『妖』発生事件は一応の終わりを告げたのだった。

『封印石』の祓いを終えた後、慧は綾と共に一階のロビーまで戻ってくると、電話で事件の終了を連絡する。
するとホテルの玄関から数十名の警察官や消防士、救急隊員達が入ってきて、慧と綾の二人の前に整列すると敬礼してくる。
「ご苦労様でした巫女様。」
まだ未成年の少女に、ベテランの彼らが大真面目に敬礼する姿は、まるで何かのドラマのようだが、この街ではごく普通の光景だ。
もっとも綾は未だにこの状況に慣れない、というか当分は慣れそうもなかった。まあなりたての巫女では仕方ない話なのだが。
「いえ皆様にこそ、ご苦労をお掛けします。『妖』は全て封印しましたので、安心して処理を行なって下さい。」
もう一人の巫女である慧の方は、流石に慣れているのか、応対も滑らかでそつが無く、綾は感心させられる。
「はいありがとうございます。それでは早速作業に入ります。」
警官はそう言うと他の者に指示を出し、それぞれホテル内に散って行く。この辺は流石に彼らも慣れており、動きはスムーズだった。
「では私たちも手伝いましょうか。」
慧と綾は、彼等の後始末を手伝う為、後を追うのだった。

全ての後始末を終えて、慧と綾がホテルを出たのは夕方になった頃だった。既に辺りは日が落ちていたが、動き回る人は多かった。
パトカーや消防車などの緊急車両やマスコミ関係の車で、ホテル前はごった返し、ヘッドライトや報道用のライトで眩しい状態だ。
だから二人の巫女は、ホテルの裏口に廻った。余計な混乱を避ける為で、そこには警察が手配したハイヤーが待機している。
「高橋様が･･･？　まったく、困ったお方だわね。」
裏口へ向かう途中で、慧は綾から『妖』出現前に起こった出来事を聞かされていた。
「まあ彼女達も、綾ちゃんが大人しそうに見えたのかもしれないけど･･･巫女を侮らないで貰いたいものね。」
呆れた表情を浮かべていた慧は、そう言って最後に意地の悪い笑みを浮かべる。
「これで少しは大人しくなってくれると良いのだけど。」
「そうですね･･･私もあんな事は二度と御免です。」
苦笑いしながら綾は答える。あの時点で『妖』が現れたから良かったものの、そのままだったら、彼女達と一戦交えなくてはならなかっただろう。
綾としては揉め事を起こしたくは無い、まして相手は通っている学院の先輩なのだ。今後に遺恨を残したくはない。
とはいえ、あの里香達が今回の事で懲りてくれたのかは、慧と綾の二人に分かろう筈もないのだが。
ちなみに里香達は、あの後に他の生徒達と共に救助され、病院に運ばれた。
幸い怪我は無かったのだが、精神的ショックは大きかったようで、そのまま入院する事になったらしい。
まあ可哀相だと綾は思ったが、今回の『妖』の襲来で、重傷者が多数出た事を考えれば、里香達はまだ幸運な方だ。
とはいえ、今回の事で里香が更に『封印の巫女』の存在に悪い印象を抱くのは必須だろう、風当たりは強まりそうな状況だ。
慧と綾はその事実に深いため息を付きつつ、ハイヤーで神社に戻り、波乱の一日はこうして終わったのだった。
ところで懇談会は結局中止になった。ホテルは暫く閉鎖状態で使うことが出来ないうえ、生徒の一部が入院してしまった為だ。
ちなみに慧と綾の『封印の巫女』達は、『封印石』の祓いや神社への収容作業に奔走していたので、たとえ開催されたとしても出席できなかったが。
そして全ての後始末を終えて慧と綾の二人が学院に復帰したのは、事件から３日後になってしまった。

「「「ごきげんよう姫様！」」」
「「「ごきげんよう妹姫様！」」」
朝の学院に響く生徒達の声。何時もと変わらない風景だったが、その日が少々趣が違った。
何時も何かしら難癖をつけてくる里香達が、何故か静かだったのだ。これには慧達も面食らってしまった。
「まあ静かでいいんじゃない？」
若様などはそんな暢気な事を言っていたが、あの日に集団で詰め寄られた綾にしてみれば、その静かさが逆に不気味に見えた。
「まさか･･･また綾ちゃんに何かしようと考えているんじゃないでしょうね。」
慧もそんな里香の動向が何かの前触れかと警戒していた。
だが彼女達の予想は事実とは大いにかけ離れたものだったのだ。
「あの･･･里香様･･･何をなさっているんですか？」
取り巻きの一人が、文句を言うでも無しに、慧達を見ている里香に恐る恐る声を掛ける。
今彼女達は校舎の影から慧達一行を遠巻きに見ている。いや、見ているのは里香だけで、後の者はこんな状況に困惑しているようだった。
「･･･静かにしなさい･･･彼女の･･･妹姫様のお声が聞こえないじゃないの。」
そう、周りの困惑を他所に里香は妹姫こと綾をじっと見つめているのだ。しかしその表情は敵意とは別のものが浮かんでいる。
「ああ･･･やっぱり素晴らしいですわ。あの声、あの仕草、どれをとっても愛しさが溢れます。」
そう、浮かんでいるのは敵意ではなく、憧れの表情だったのだ。まるで恋する乙女のような････
実は彼女はあの一件以来、巫女に持っていた敵対心が、綾に関してだけだが消えてしまい、純粋に恋してしまったらしい。
恐怖に震える自分を守ってくれた綾の姿と、自分のした事を黙っていてくれた行為に、完全に骨抜きにされたのだ。
言っておくが、綾が里香達を守ったのは巫女としての勤めを果たしただけだ。そこに他意など存在しない。
また、里香の行為を公にしなかったのは、ただ単に揉め事の種を増やしたくなかっただけで、別に里香を庇ったわけではない。
だが里香の方は勝手にそう思い込んでしまったのだ。もともと思い込みの激しい性格だったのがここで災いした。
「ああ妹姫様･･･いつか私の事を･･･」
ゾクッ･･･
「な、何これ････？」
『妖』と対峙した時以上の悪寒を背筋に感じて、綾は周りを見渡す。だが幸い？な事に里香には気付いていなかった。
「･･･どうしたの？もう教室に行かないと遅刻よ。」
「うん･･･何でもない･･･行きましょう。」
結局、綾は悪寒の原因に気付く事は無かった。だがこれ以降、得体の知れない悪寒を常に感じ続けるようになるのだった。
後に妹姫様のストーカーと言われる人物が誕生した瞬間だった。
そして綾にとっては、それでなくてもややこしい人間関係が更にややこしくなる一因として彼女を悩ます事になる。

綾の受難は当分終わりそうもなかった。