この街に着いてから信一郎に助けられた事、そしてそれにときめいてしまった事、それらを綾は包み隠さず母親に話した。
母親は言葉を挟まず静かに聞いてくれていた。綾は話すうちに落ち着いてきたのか、改めて自分の行為を見つめ直すことができた。
「･･･というわけでお礼を言って別れたんだけど。」
「･･････」
聞き終わった母親は何か考えているのか、暫し沈黙していたがやがて綾に向き直って言う。
「綾ちゃん、それは貴方が恋を･･･」
こ、恋？　私が？　相手はまさか？？　再び身体が火照り、心拍数が高くなる綾だった。しかしその後に続いた言葉は予想とは違った。
「･･･していると言うより、恋に恋してる思春期に入ったばかりの女の子みたいね。」
「は？　それって････？」
綾は母親の言った意味が分からず首を傾げてしまう。大体恋に恋しているっていう意味が理解出来ない。
「気になる男の子に会って、自分は女の子だから恋をしてしまう、貴方はそう考えてしまったんじゃない？」
確かに信一郎は男の頃から気になる相手（別に妖しい意味ではない）だった、言わば理想の男性像だった。
貧弱な身体と大人しい性格に綾（薫）は元々コンプレックスを抱いており、その点では自分と逆だった信一郎に憧れていたのは事実だった。
「それって･･･つまり男の頃の気持ちが、女の子になって感じ方が変わったから？　それを恋だと思ったという事？」
自分でも何だか訳が分からなくなってきた綾だった。まさに友情と恋愛の境は何処にあるのか？･･･と言ったところか。
「まあそれから恋愛に発展してゆくものだから、綾ちゃんには良い傾向よ。そこまで行けばもう立派な女の子。」
「いや･･･立派な女の子って・・・。そりゃ今は身体はそうだけど、男と別に恋愛したいと思っているわけじゃないんだけど。」
もちろん信一郎が嫌いという訳ではないと思う。”薫”の頃は何でも話し合える、かけがいのない親友だったのだから。
だが今自分が”女の子”になり、久々に会った信一郎の姿に感化されたのは否めない。
「だからがんばりなさい、お母さん応援するから。恋愛は女の子を美しくするわ綾ちゃん。」
何だか言い返す気が失せてしまう。第一、母親は肝心なことを忘れている。
「大体無理だと思うけど。それに、巫女の生活は男子禁制とされているし、学院は男女交際厳禁なんだけど。」
元々男性と接触する機会が少ないのが今の綾の生活だ。加えて『封印の巫女』は地元では神聖な存在として敬われる存在なのだ。
「それは寂しいわね。せっかくの青春時代を････そういえば姉さんもそうだったわね。」
巫女であった母親の姉、つまり綾の伯母は伯父と引き合わされるまで、ずっと恋愛などしたことが無かったらしい。
封印の血筋を守る為に、巫女は決められた相手としか結婚出来ない。大概は見合いで知り合ってそのまま結婚、というパターンだ。
ちなみに綾の母親と父親は恋愛結婚だ、まあ今の状況を見ていると信じられないが。何でも学生時代に知り合ったらしい。
巫女の役職は姉が引き継いだので、母親は結構気楽な青春時代を送れたらしい。
「不憫な娘ね。これも『封印の巫女』ゆえね。まあこの話はここまでにしておきましょう。荷物片付けてきなさい。」
「あ、うん。」
ようやく母親から開放された綾は、荷物を持って二階に上がろうとしたのだが。
「あ、綾ちゃんそっちじゃないわ。こっちの客間よ。」
「え･･･？　でも私の部屋なら２階にあるじゃない。」
呼び止められた綾は不思議そうな顔で答える。わざわざ自分の部屋が有るのに何故客間なのか分からなかったからだ。
「何を言っているの、２階は”お兄ちゃん”の部屋でしょ。」
母親は悪戯っぽい笑みを浮かべてそう答える。
「へっ？　それは確かにそういう設定だけど。でも本当は私の部屋でしょ。」
だいたい”双子の兄妹”なんて母親達が勝手に作った設定だ。実際は兄（薫）＝妹（綾）なのだからあの部屋は綾のものでもあると思っている。
しかし、母親はそうは思っていなかったのだ。
「妹の貴方の部屋は神社の方にあるのよ。お兄ちゃんが居ないからって勝手に入っちゃ不味いでしょ？」
「はっ･･･！？」
確かに設定では”妹の綾”は巫女の修行で、『宮内神社』に住んでいるのでこの家に部屋は無い事になっているわけだが。
要は、貴方は”妹の綾”なのだから”兄の薫”とは別の部屋に泊まりなさい、という事らしい。
「第一、”女の子”の綾ちゃんが必要な物なんてないでしょうしね、”男の子”の部屋なんですもの。」
母親の意味深な言い方に綾は自分の思惑を見透かされた事に気がつく。
実は今回の帰郷では綾はある計画を立てていたのだ。ずばり”薫”だった時の持ち物の確保だ。
桜木市の伯父の家（神社）に持っていった”薫の持ち物”はそのほとんどが、綾になった後に処分されてしまった。
大事にしていた本（マンガや小説）とか携帯ゲーム機などだ。みんな女の子には必要ないという理由でだ。
現在、その代わりに置かれている物と言えば、少女向きの小説やマンガ、雑誌になってしまった。
この辺は全て慧の趣味のもので、当初は恥ずかしくて全然手を付けられなかった。まあ今は他に読む物が無いので読んでいるのだが。
だから綾はこの機会に実家に残していった男の時の持ち物を持ち帰ろうと考えていたのだが、どうやら母親の方が一枚上手だったようだ。
「妹が兄の部屋を漁っているところを、近所の人に見られたら不審がられるわよ。」
どうやら”兄”の部屋と言う事で”妹”には近づかせない気らしい。綾はこれ以上の抵抗は無理と思い、仕方なく客間の方へ向かう。
もっともまだ諦めた訳ではなかったが。予定では５日居る予定なので、まだチャンスは有ると踏んでいるのだ。
「ふ〜う。」
客間に荷物を置き部屋を見渡す。･･･それにしても自分の家なのに客間に泊まる羽目になるとは思ってもみなかった綾である。
どうも母親の思惑通り進んでいるようで腹立たしいが、そういった面では綾は敵わない。これも年季の違いだろうかと考えてしまう。
まあ考えていてもしょうがないので、綾は鞄から服を取り出すと、着てきたワンピースを脱ぎ、着替えはじめる。
綾が普段着として持って来たのは、スラックスに半袖のシャツという、お勤め以外に神社でよく着ているものだ。
慧には慣れる為に何時もスカートを穿いているように言われたのだが、普段は巫女服だから大丈夫とこれで押し通している。
確かに巫女服はスラックスのように閉じられていないが、裾が長く（足首まである）よほどの事が無ければ捲れたりしない。
まあ出来ればスカートは制服ぐらいにしたい綾である。もっとも慧をはじめとする女性陣に、結局は着せられるのが常なのだが。
とりあえずワンピースをハンガーに掛ける。それからカバンの中から、連絡用にと渡された携帯を取り出す。
「ほんと何時見ても高価そうな携帯よね。」
何でも衛星経由で通話できるタイプで、しかもＧＰＳ（地球測位システム）付き。暗証番号を入れると、県の防災ネットワークとも繋がるらしい。
登録された電話番号には神社や慧の他に、県知事や市長直通のものまである。
たかが巫女が持つ携帯にしては物々過ぎる気がしないでもないが、慧曰く、『封印の巫女』はそれだけ重要な役職と見なされている証拠という事らしい。
とはいえ綾は普段持ち歩くよう言われているこの携帯を落とさないか常に心配しなければならないので、そんな気になれないのだが。
ため息を付き綾は携帯を、腰に付けた専用ケースに入れる。これまた防水・防火仕様という、一般にはあまり縁の無いものだったりする。
「綾ちゃん、着替え終わったなら手伝って欲しいんだけど。」
「あ、はい。今行きます。」
綾はそう返事をすると、カバンを閉じる。もう一度携帯を確認し、部屋を出て居間に向かう。

帰郷一日目はまだ始まったばかりだ。