海辺のホテルの前に一台の車が入って来る。入り口の所にいた男性従業員がそれに気づき、出迎える為に車に近寄って行く。
その従業員が到着すると同時に停止した車のドアが開かれ、誰かが下りてくる。
「いらっしゃいませ。」
車を下りてきた人物は、従業員のその声に振り向く。そのとたん彼はその相手をまじまじと見てしまう。
黒い髪を腰の辺りまで伸ばし、整った顔立ちをした美少女だったからだ。そして白いノースリーブのワンピースがその姿を更に魅力的にしている。
可愛い子だな･･･従業員は心底思った。一方、見られていた美少女はそんな彼の反応に困惑した表情をするが、それがまた男心をくすぐってくる。
「悪いんだけど･･･荷物お願い出来るかしら？」
呆けていた従業員を我に戻したのは、その少女の後ろから下りてきた女性の声だった。
「は、はいすいませんでした。」
従業員は慌てて車のトランクの方に廻る。そうしながら彼は声を掛けてきたその女性をちらちらと見てしまう。
先程の少女に何となく容姿が似ているから母親だろうか？それにして若々しい。姉と言われても納得してしまいそうである。
横目で見ていると母親らしい女性は先に下りた娘（？）に何か声を掛ける。すると彼女は顔を赤くして俯いてしまった。
その姿に従業員は思わず動作が固まってしまうが、次の瞬間、横から掛けられた声に別の意味で固まってしまった。
「うちの娘に何か用かね？」
まさに地獄から響いてくるといえる声だった。恐る恐るそちらに顔を向けた従業員は、自分を見つめる”鬼の目”に気づき冷や汗を全身に噴出させた。
「い、いえそんな･･･あ、あの、ようこそいらっしゃいました。」
従業員は引きつりながらそう言うと、トランクから荷物を取り出す。
「あ、あのこちらへ･･･お車は他の者が駐車場の方へ回しますので。」
３人を案内して従業員はホテルに向かう。その間ずっと”鬼の目”を背中に感じ、彼は生きた心地がしなかった。

「あ〜恥ずかしかった･･･お母さんあんなこと言うんだから。」
部屋に案内され従業員が出てゆくと、先程の少女・綾がソファに座り込み母親を睨む。とはいえその容姿からか、怖いというより愛らしさの方が勝って見える。
「『その姿、皆の注目の的ね』･･･なんて･･･」　
あの時綾は母親にそう言われたのだ。彼女が真っ赤になるのも仕方があるまい。だが注目という点では母親の言うとおりなのだ。
ホテルに着くまでにも、休憩などで車から下りる度に、綾はその容姿故に周りの視線を集めていた。まあ、両親と一緒に居たのでナンパはされなかったが。
それでも遠巻きに見られ居心地が悪かった。ちなみに、見ていたのは男性だけでなく女性も結構おり、相変わらず男女区別無く注目される綾である。
「だからこの服嫌だと言ったのに･･･」

実は出発前に綾は、帰郷一日目の事で懲りていたので、スラックス＋シャツという何時もの格好で行こうとしていたのだ。どうせ車で行くから人目を気にする事も無いだろうという事もあって。
だがその格好で出てきた綾を見た母親が、「何なの、その地味な格好は？」と言って着替えさせたのだ。もちろん最初は抵抗したが、敵わなかった。
いとも簡単に綾を下着姿にしたかと思うと、このワンピースを着せてしまったのだ。そして何時の間にか用意されていた踵の高い靴も履かされた。
そして出来あがったのが、清楚な雰囲気を備えた、どこぞのお嬢様（母親談）。本人はかなり恥ずかしかったのだが、父親が狂喜したのはもちろん言うまでもない。
ふと綾は、慧も時々いやに手馴れた動きで自分の服を着替えさせるけど、それってまさか家の母親から仕込まれて？と末恐ろしい想像に囚われるのだった。

「何言ってるの･･･女の子が着飾るのは当然の特権よ綾ちゃん！それに私も娘を着替えさせられて嬉しいし。」
多分後半が本音なのだろう。それにしても母親を含め周りの女性達は何で自分を着替えさせて喜ぶのか分からず、綾は深いため息を付く。
「そうだぞ、着飾った娘を見るのは親としては嬉しいものなんだぞ！」
「もういいです･･･はあ････」
父親も一緒になって言う姿を見て、綾は諦めの境地に陥る。
「それに関しては同感ねあなた。まあそれくらいにしておきましょうか。
それよりさっさと着替えて海行くわよ綾ちゃん。」
バックを開け水着やタオル取り出す母親。何かこの中では一番はしゃいているような感じがするのは錯覚ではあるまい。
「そうだな早速･･･って何だお前？」
父親は母親から水着を渡されると、後ろを向かされバスルームの方へ押されてゆくので、困惑した声をあげる。
だが母親は何も言わず父親を押して行くと、既に開いていたドアからバスルームの中に押し込んでから、にこやかな笑みを浮かべてこう言った。
「覗いちゃダメよ･･･私はともかく綾ちゃんをね、分かっていると思うけど。」
「ど、どういう意味･･･」
バタン！
有無を言わさずドアを閉める母親。綾は呆気に取られた表情で両親を見ている。
「さて着替えましょうか。」　
バックの中から今度は自分の水着を取り出しながら言う母親に綾が訊く。
「何でお父さんをそっちへ？」
「何でって、綾ちゃん、お父さんの前で着替えるつもりだったの？」
「いやそういうわけじゃないけど･･･それならそう言ってあげれば良いのに。」
閉じられたバスルームを見ながら綾は言う。確かに男親と一緒に着替えるのは、今の身体では出来ない話だが。
「普通はあっちが察するものよ、まったく無神経なんだから･･･さあ貴方も着替えなさい。」
そう言って服を脱ぎだす母親に綾は慌てて横を向く。いくら身体は同じ女同士でもやはり見るのは気が引けるからだ。
綾は母親の方を見ないようにしながら、自分のバックを開け、例のセパレート型の水着を取り出すと、着替え始める。
脇から聞こえる母親の着替えに伴う音を極力聞かないようにしながら手早く水着を身に付けてゆく。
「もぉ･･恥らう姿を見たかったのに。」
母親が余計な事を言ってくるが無視する。この身体になって早や数ヶ月である、そうそう恥ずかしがってばかりもいられない･･慣れたくもなかったが。
綾が着替えをするうえで学んだのは、恥ずかしがっていれば逆に周りの女の子達のいい餌食（笑）になるという事だった。
だから付け入る隙を与えない為に綾は手早く着替えられるようになったのだ。
「綾ちゃん終わった？」
「あ、うん。」
振り向くとそこには久しぶりに見る母親の水着姿。確か最後に見たのは小学生の頃だったなあと綾は思い出す。
「･･････え？」
そこには何処にも弛んだ所も無く、すべすべした肌をブルーのワンピース水着に身を包んだ･･･母親がいたのだ。綾は思わず呆けた声を上げてしまう。
「ふふふ･･･どうかしら綾ちゃん？」
正直いって高校生の子供がいるようには見えない若々しさである。しかも身体の凹凸は綾より豊かで、綾は羨ましく思ってしまう。
「･･･って何考えているんだ。」
男言葉に戻って頭を抱えてしまう綾。脳裏に浮かんだのが”女性が女性の身体を見て抱く感想”みたいだったからだ。
「そんなに喜んでもらえると私としても嬉しいわね。もちろん綾ちゃんの水着もなかなか良いと思うわよ。」
綾の葛藤など何処吹く風、と母親は喜色満面で娘の水着姿を見つめて言う。
「え･･･？いやそんなにじっと見るな、見ないでよ母さん。」
母親の視線に気づき思わず両腕で胸を抱いて俯いてしまう綾。だがそういう仕草が余計に注目を集める事に本人は相変わらず気付いていない。
「もお〜可愛いんだから。」
ガバッ！
「き、きゃ････！！」
後ろから急に抱きつかれ綾は悲鳴を上げてしまう、それも思いっきり女の子のような悲鳴を。だが母親は構わず手を娘の胸に当ててくる。
「何処触っているのお母さん･･･！や、やめて、くすぐったいてば･･･」
それから暫く、母と娘のスキンシップ（？）は続いた。ちなみに既に着替え終えバスルームに居た父親は、その声を悔し涙を浮かべ聞いていたらしい（笑）。

水着の上にパーカーを着込み、３人は専用通路を通って海岸に出る。
「わあ････」
はてしなく広がる青い海、夏の光に溢れる砂浜、思い思いに泳いだり、日光浴に行じる人達。その光景に綾は感嘆の声を上げる。
「どうだ凄いだろう。」
父親が鼻高々に自慢する。がパラソルやクーラーボックス、浮き輪などを荷物を多く抱えてふらふらだったので、様にはならなかった。
「･･･貴方が威張ってもね････それより早く荷物を置いたら。」
妻からのきつい一言に夫は力尽きるように砂浜に倒れる。ちなみに娘は海に見とれ気づいてもくれなかった。
そんな父親に見向きもせず母親は、興奮して海を見ている綾に近づくと肩を叩いて言う。
「綾ちゃん先に泳いでいらっしゃい。準備はお父さんにやってもらうから。」
「ほんと？じゃそうするね。」
母親の言葉に肯くとパーカーを脱いで渡し、波打ち際へ駆けてゆく綾。伸びやかな身体が健康的な色気を周りに発散し、周りからの注目を集める。
「こう見るとまだ子供ね。あれでもれっきとした『封印の巫女』様なんだけどね･･･あなた何時までも見てないで準備しなさい。」
波打ち際で戯れる娘に見とれていた父親に、母親が振り向いて言うのだった。
暫く波を浴びたりして遊んでいた綾は、母親たちに声を掛けてから海岸線を歩いて、消波ブロックが並ぶ一帯に向かう。
特別何か目的が有るわけではなく、ちょっとした好奇心だった。
一応念の為に水着の上にパーカーを着込んでいる。流石に水着だけでは目立ちすぎると思ったのだ。それに今更ながら人の視線が気になってきたこともあった。
ちなみに視線の主は主に男だったが、実は女性達からのものもかなりあったのだ、しかもかなり熱の篭ったものが、である。
「････？」
消波ブロックに近づくにつれ何か集団の男性達の声が聞こえてくる。それもただ声を上げているのではなく、勇ましく規則正しい感じだ。
「「「や･･！」」」
「「「たあ･･･！」」」
やがてそれが１０人ほどの男性達が並び、何かの構えを繰り返しているのが見えてきた。
「あれって？」
見覚えの有る光景に首を捻った綾は、彼等の前に立って一際大きな声を出している人物を見て驚いた。
「し、信一郎？」
”薫”の中学時代の親友である信一郎だったのだ。綾はそこでようやく思い出す、よくこういった光景を傍から見ていた事があったのを。空手部だった信一郎の練習を”薫”はよく見学に行っていたのだ。
それにしても何でこんな所で？　驚いて固まっていた綾に男性達が気付いてざわめく。
「おいお前ら、集中しないと･･･って、え？」
注意しようとした信一郎も、傍らに現れた綾に気づき目を丸くして見つめてくる。流石に彼もこんな所で、自分が助けた少女に会うとは思っていなかったようだ。
「あんたはあの時の？」
「え、あ、あの時は助かった･･りました。その･･ありがとう･･ございます。」
思わず男言葉になりそうなところを慌てて直しながら返事をする綾、一瞬感づかれるかなと思ったが杞憂だった。
「いえ当然の事をしたまでですよ。」
マンガ的に表現するなら白い歯が”キラン”と光った、そんな感じで答える信一郎に”相変わらず鈍い奴”と苦笑いする。
「それにしても何故ここに？　･･･おっとお前ら、休憩してもいいぞ、１０分後に再開だ。」
鍛錬中だった事を思い出した信一郎は、こちらを興味深げに（特に綾の方をだが）見ていた男性陣、多分彼の空手道場の門下生だろう、にそう言う。
「「「お、押忍っ！！」」」
門下生達はそう言って一礼するが、その場から動こうとせず、会話に戻った信一郎と綾を見ながら囁き合う。
「おい、あの娘、先輩の知り合いか？」
「あんな可愛い娘と何時の間に知り合ったんだ？」
「う･･･何かあの格好色っぽいぜ。」
奥手で知られる信一郎が女の子と、それもかなりレベルの高い美少女と知り合いだという事に門下生達は驚きを隠せないでいた。
一方、彼等の視線は当然のごとく綾に向けられている。黒い絹のような黒髪と整った顔立ち。そして何よりパーカーの下から伸びる白くて張りのある太股。
恥ずかしいのか、パーカーの前を両手で閉じているが、それでも見える水着や肌の一部。どれもが男性陣の煩悩を掻き立てていたのだ。
しかし綾はその事には気づいていなかった、意外な再会に驚いていたからだ。そうでなければとっくの昔にここから逃げ出していただろう。
「なるほど･･･ご家族でいらっしゃっていたんですか。俺は家の道場の連中と合宿でここに来たんですよ。」
「はあ･･･そうなんですか。」
爽やかな笑顔を浮かべつつ話す信一郎を見ながら、綾は帰郷して最初に会った時の感情が蘇ってきて複雑な思いに駆られていた。
綾はそれが、かつての親友に出会えた喜びなのか、それとも彼を異性として意識したからなのか、自分で答えを見つけられないのだ。
そう、母親の言っていた『友情と恋愛』の狭間で綾は戸惑っていたのだ。とはいえ男と付き合うなど考えたくも無い事も事実だ。
何しろ精神的には未だに自分は男だと思っている綾だ。それに信一郎には、これからも男同士の友情の方を持ち続けたいという気持ちがある。
身体が女になったからといって恋愛感情を抱かなくてもいいじゃないか、でもときめきを覚えたのも確かだし。
・・・と、すっかり思考の袋小路にはまってしまった綾だった。
「あの･･･私そろそろ戻りますね。練習邪魔しちゃったら悪いですし。」
これ以上信一郎の前で考えていても仕方が無いと気づき、綾は戻る事にする。それにあまり遅いと父親が探しにきて信一郎と鉢合わせしかねない。
娘に男が近づく事を極端に警戒している父親が、綾が意識し始めた信一郎に良い印象を持つとは思えない。下手をすると一悶着起きかねないだろう。
「そうですね。女性の一人歩きは、たとえ日が高くても気を付けた方がいいですよ。ああ、なんでしたら送りましょうか？」
「だ、大丈夫です･･･それじゃ。」
綾はそう言うと会釈し足早にここを離れる。
「ええ、気を付けて帰って下さい。」
あくまで爽やかな態度で綾を見送る信一郎。一方、門下生達はかなり残念そうな表情をして見送る。彼らにすればもう少し彼女を鑑賞していたかったらしい。
「ほら始めるぞ皆。」
彼らのそんな思いなど気づかず声を掛ける信一郎。再び勇ましい掛け声が海岸に響く。

戻ってきた娘を見て、母親は何か”ぴーん”ときたようだった。まあ、顔を赤くして心此処にあらずというような表情をしていれば、何かあったと誰でも気づいただろうが。
「お帰り綾ちゃん。ほら、つっ立ってないで座りなさい･･･」
「う、うん。」
促されて母親の隣に腰を下ろす綾。そんな娘の姿を見て父親が心配そうに訊いてくる。
「何かあったのか綾？お父さんに話してみなさい。」
ずいと顔を近づけて訊いてくる父親に綾は目を逸らして言う。
「うん･･･何でもない。」
「何でもないって･･･」
「あ・な・た。」
父親の言葉を遮る母親。顔は穏やかだが、有無を言わせぬ迫力があり、思わず父親は身体を硬直させる。
「年頃の娘には男親には話せない事もあるんですよ･･･そこを察してあげなさいな。」
そう言うと母親は娘をそっと抱きしめる。
「え･･･お母さん？」
「今は話さなくてもいいわ、でも後で私には聞かせてね。これでも貴方より女性歴は長いんだからね。」
綾の髪をそっと撫でながら母親はそう言って微笑む。
「うん････ありがとうお母さん。」
目を瞑り、綾もそっと母親を抱き返す。不思議なことに、それで先程までの様々なものが消えて行くような気がするのを綾は感じていた。
抱き合う母親と娘。まるで絵画のような光景であり、誰人にも侵すことの出来ない空間が出来る。二人はつかの間全てを忘れて抱き合う。
「さて･･･もうホテルへ戻りましょうか。」
「うん･･･そうだね。」
やがて母親と綾は身体を離すとそう言って笑い合う。そして二人は立ち上がり、父親に声を掛けようとしたのだが。
「あなた何やっているのですか？」
「お父さん？」
母親と娘がそこで見たものは、砂浜に座り込み、砂を指で掻き回しながらいじけている父親だった。どうやら除け者にされたのがとても気に入らなかったらしい。
「なんだい二人だけで･･･ブツブツ･･･」
母親と綾はお互いの顔を見て苦笑いを浮かべると、座り込んでいる父親の両隣にしゃがみこんで肩に手を置いて言う。
「ごめんなさいねあなた。でも最後に頼りになるのはやっぱりあなたなのよ。」
「お父さんには感謝しているから･･･そうだ、夕食の時にお酌してあげようか？」
二人のこの言葉の効果は絶大だった。先程まで真っ暗な顔をしていた父親は、瞬く間に立ち直り、元気よく立ち上がる。
「よし任せておけ！　二人は先に戻っていなさい。ああ綾、お酌を楽しみにしているぞ。」
そう言うと荷物をてきぱきとまとめ始める。先程の落ち込みなどもう何処かへ飛んでいってしまったみたいで、母親と綾は呆気に取られる。
「あれだけでそんなに嬉しかったのかな？お酒を注いであげるだけなのに。」
呆然としてそう言う綾に、母親は肩を竦めながら答える。
「･･･まあ当人が喜んでいるのならいいんでしょ。男ってホント単純ね･･･」
結局二人は後片付けを父親にすべて任せ、一足早くホテルに戻ったのだった。

････そして事件はその日の夜、夕食の後に起こった。

予告
『事件は宴会場で起こっているんじゃない、露○風○で起きているんだ！』（ｂｙ湾岸署某刑事風（笑））